第55回 ノーベル(その三)ダイナマイトが革命を起こした---大発明家の「孤独」と「陰鬱」

福田 和也

メダルは当初、父の手許にあったが、その没後、アルフレッドの手にわたった。
高名な探検家である、アドルフ・ノルデンショルドは、アカデミーに対して、ノーベルを入会させるべきだ、と献言し、ノーベルは入会の栄誉を受ける事となった。

ノーベルは、かなり昂奮したらしい。

ノルデンショルドに対して、自分は哀れな境遇におり、人里離れた淋しい村で、世捨て人として暮らし、誰にも看取られずに死ぬ運命だと思っていたのに、アカデミーに受け入れられて感激していると手紙を書いている。

ノーベルの遺言1896年、財産を受け継ぐ直系の相続人をもたぬままノーベルは生涯を終えた。財産は権威ある賞に費やされた

アカデミーから認められた事はノーベルにとって新鮮な体験だった。
けれども、ノーベル自身は、ほとんどアカデミーの行事に積極的に参加する事はなかった。

一八九三年、ノーベルは再び栄誉を受けた。
ウプサラ大学の創立三百周年の記念式典で同大学の名誉博士に選ばれたのである。

二度に渉る栄誉を受けて、ノーベルは、栄誉を得る側ではなく、栄誉を捧げる立場に興味を持つようになった。生涯、独身を貫いたので、直系の相続人もいなかった。

かくして、高名な遺言が残されたのである。

遺言はスウェーデン語で書かれ、銀行に保管されていた。
中には、自らの賞は五つの分野において、その前年に人類にもっとも貢献した者に授与される、と記されていた。

一八九六年十二月十日、ノーベルは六十三歳で亡くなった。
五日後、遺言書が開封された。

以前の遺言書では、三百万クローネの財産を三人の甥が相続する事になっていたのだが、最新の遺言書では、百万クローネ以下に減額されていたのである。

遺言では五つの賞が制定される事になっていた。物理学、化学、生理学もしくは医学、文学、平和である。
ノーベルは、二十年収入がなくても、研究をつづけられるだけの賞金を受賞者に贈るように、アカデミーに求めている。

文学賞は、理想主義的な傾向をもった、文学で傑出した作品に対して与えられる事になっていた。平和賞は常備軍の撲滅または削減、平和会議創設と普及に尽くした人物、または組織に与えられると定められた。

『週刊現代』2013年11月16日号より