堀内恒夫×新浦壽夫×淡口憲治~アンチ巨人まで心配する負けっぷり子どもは悲しみ、大人は怒った

長嶋監督の就任1年目「1975年ジャイアンツ最下位」を語ろう
週刊現代 プロフィール

淡口 長嶋監督からのアドバイスでよく覚えているのは、「来た球を打て」ということ。「データを頭に入れても、その通りには来ないから、何も考えずに打て」と言うんです。それが一番、難しいのに(笑)。

堀内 自分ができたことが選手にはできない、というのが歯がゆかったんだろう。ベンチでもカッカしていて「代打、俺」と言い出さんばかりだった。

淡口 ゲーム中はずっと立ちっぱなしでしたね。熱くなるとベンチ裏で壁を叩いたり、麦茶の入っているヤカンを蹴っ飛ばしたり。負けた帰りのバスも怖かった。ずっと黙って座っているんですが、降りる直前になって車内のカーテンを引きちぎったこともありました。

みんなクビを覚悟した

新浦 あのシーズンは、怖くて監督のそばには座れなかったよ。もう、なるべく長嶋さんの目につかないように行動していた。

淡口 連敗すると試合後は外出禁止になるんですよね。僕らは年に一度の北海道遠征を楽しみにしてたんですが、連敗して外出禁止になってしまった。ホテルのスタッフはみんなが外食すると思ってたから食事を用意してなくて、慌てて作ってもらったんだけど、待っている間がなんとも辛かったな。

堀内 あと、負けが込んでくると、お客さんの声援がブーイングに変わってくる。あの年も、8月あたりからはさんざん罵声を浴びせられた。特に新浦は大変だったよな。

新浦 投げる準備をしようとブルペンへ向かうと、「おーい新浦、そっちは風呂か」なんて言われる。要するに、お前は家に帰って風呂でも入っておけという意味なんですよ。これを小学生に言われるからたまらない。

 休みの日にも気分転換できなかったですね。ある日、後にカミさんになる人とデートしていたらファンに見つかって、「おまえ、女なんかと会ってるから負けるんだ」って怒鳴られたことがあります(笑)。

淡口 僕は帰るとき駐車場でファンに取り囲まれて、車をボコボコに蹴られたこともありましたよ。

 ベンチにいるときは表情にも気を遣いましたね。チームメイトと話していて、少しでも頬を緩めるとファンから「なに笑ってるんだ!」って球団に苦情の電話が掛かってくるから。

堀内 結局、あのシーズンは4月から一度も浮上できず、10月10日に最下位が決定した。