堀内恒夫×新浦壽夫×淡口憲治~アンチ巨人まで心配する負けっぷり子どもは悲しみ、大人は怒った

長嶋監督の就任1年目「1975年ジャイアンツ最下位」を語ろう
週刊現代 プロフィール

淡口 ところが、怪我の影響は長引いてしまったんですよね。王さんがいないから打順がころころ変わって、僕も一度だけですが4番を打ったことがあります。

堀内 これがいまの巨人なら、控え選手のレベルが高いからなんとかなったんだろうけど、当時はレギュラーと控えの差が大きかったからね。王さんの代わりなんて誰も務まらない。

こんなはずじゃないのに

新浦 その穴を埋めてくれると期待されたのが、この年、巨人史上初の外国人選手として加入したデーブ・ジョンソン。でも、全然活躍できずに「ジョン損」なんて言われたこともあった。

淡口 巨人入団前のジョンソンはボルティモア・オリオールズやアトランタ・ブレーブスで活躍したバリバリの大リーガーでしたから、僕たちも球団も期待していたんだけど……。

堀内 彼は日米野球で何度か来日していて、守備が抜群に上手かったんだ。そこに目を付けた長嶋さんは自分の抜けたサードに据えた。ところが、肩が弱っていたのは誤算だった。

新浦 だから翌年はセカンドにコンバートされたんですよね。バッティングも変化球が打てなくて散々だった。

堀内 とりわけスライダーが苦手だったんだ。もっとも、2年目は活躍したから、最初の年は日本の野球に慣れなかったということだろう。外国人はそういうことがよくあるからね。

淡口 開幕ダッシュに失敗して、4月は最下位。それまでの巨人なら、開幕して20勝10敗くらいのペースが当たり前でしたから、すでに4月の段階で何か変だなという感じはありました。

新浦 僕は4月が終わった時点では、まだ始まったばかりだし、うまく投打が噛み合えば追いつけると思っていた。みんな、その頃はまだ楽観的だったんじゃない?

堀内 いや、俺はヤバいと思ってたよ。これは負け過ぎだぞって思っているうちに5月が過ぎ、6月も終わった。その頃、ようやく王さんが復調するんだけど、もうその時点で優勝は無理だった。首位とゲーム差9・5で取り返しがつかないくらい離されたからね。

淡口 ずっと「こんなはずじゃない」という気持ちがどこかにありました。それまでジャイアンツが最下位になったことはないし、そのうち調子が上がるだろうって。現実を認めたくなかったんでしょうね。