憧れと差別の狭間で ~ポール・ゴーギャンが描く偽りの楽園

寺田 悠馬 プロフィール
『果物を持つ女(あなたは何処へ行くの?)』
1893年 (エルミタージュ美術館)
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そんな不器用な対応を、我々は異国だけではなく、同様に得体の知れない、異性に対してもしてしまう。

男性はあらゆる女性と対峙すると、彼女たちを、聖母か娼婦という対極のいずれかに分類してしまうと、フロイトが指摘したのは有名である。

一方で尊い崇拝の対象として、もう一方で差別の対象として異性を認識するのは、彼女たちと一定の距離を置いた関係しか構築できないという意味で、じつは表裏一体ではないだろうか。宗教的とも言える絶対の地位に女性を祭り上げるのは、彼女たちの個々の人間性から目を背けることでもあるのだ。

近代フェミニズムの原点とも言われる著書『第二の性』で、ボーヴォワールは書いている。男性は、女性を神秘的なオーラで包むことによって、「理解できないもの」と定義付け、その結果、理解しようとする努力を怠るのを正当化してきた、と。身勝手な理想像を一方的に女性に押し付けるのは、差別と同様に、彼女たちの主体性をないがしろにする行為にほかならないのだ。

文明社会に背を向けた男のタヒチでの生活

ゴーギャンにとって、タヒチとは異国であり、そして美しい女性だったのではないだろうか。そしてその女性は、憧れの対象であると同時に、植民地の「野蛮人」として、差別と征服の対象だったのではないか。そう思わされるゴーギャンの手記が、現存する。

画家のタヒチ滞在記『ノアノア』は書籍として出版されているが、その生原稿を調べると、ゴーギャンは余白にこう走り書きしている。

「目が穏やかな女をたくさん見た。私は、彼女たちが一言も発することなく、抵抗することもなく、乱暴に犯されるのを望んだ。それは強姦することへ切望とも言えるだろう」

また、ゴーギャンがタヒチから画家の友人に充てた手紙には、次のように書かれている。

「ただこの場に座り、煙草を吸って一杯のアブサンを飲むことは、私の毎日の至福である。私には15歳の妻がいて、彼女は私の食事を用意し、私が望めばいつでもベッドにその背中をつけて、私を迎え入れてくれる。その代償として私が彼女に与えるのは、僅か10フラン相当の衣服である」

43歳でタヒチに移住し、54歳で死去するまでに、ゴーギャンは決して少なくない数の現地女性と関係を持った。彼女たちはみな幼く、なかには13歳の少女もいたことが分かっている。文明社会に背を向けたゴーギャンは、ヨーロッパであれば犯罪と見なされる行為に日々興じていたのだ。