読者抜きにジャーナリズムは成立せず『ジャーナリストの自立』を考えた
『現代ビジネスブレイブ イノベーションマガジン』---長谷川幸洋「ニュースの思考法」よりメディアとは情報が通過する単なるトンネル
これまでメディアとジャーナリズムについて、さまざまな角度から現状と問題点を考えてきた。私が一貫して、こだわってきたのは「メディアとジャーナリズムの自立」という問題である。今回はそこから一歩、踏み込んで「では、どうすれば自立できるのか」について考えてみたい。
まずメディアやマスコミ、ジャーナリズムあるいはジャーナリストという言葉を、私なりに定義してみよう。
私はメディアやマスコミ、ジャーナリズムという言葉をさまざまな場所で使ってきたが、その際、実は言葉の違いをしっかりと自覚して使ってきたわけではない。和製英語のような「マスコミ」という言葉はあまり好きでなかったので、どちらかといえば、「メディア」や「ジャーナリズム」を多用してきたと思うが、同じような意味で使ったときもあったかと思う。
だが、この連載を書きながら、あらためて意味の違いに気がついた。いま「メディア」とは本来の語源どおり「情報を伝達する媒体」と定義したほうがいいのではないか、と思っている。というのはインターネットの世界が格段に広がった中で、いまやジャーナリストでなくても、だれもがいつでも情報を自由に発信する手段を得たからだ。
ブログやツイッターでのつぶやき、フェイスブックへの書き込みも当たり前になった。そこで、そんな情報を伝達している媒体自身を「メディア」と呼ぼう。その中にはネットはもちろん、新聞やテレビ、ラジオ、雑誌、書籍など既存の「マスコミ」も含まれる。これらは媒体である。
メディアを情報そのものではなく「情報を伝える媒体」と考えれば、媒体自身は何も訴えないし、意味をもっていない。情報を通過させる、単なるトンネルのようなものだ。広く伝わるか、狭く伝わるか、あるいは速いか遅いかという違いはある。表現の形式、スタイルもメディアによって異なる。だが、あくまで媒体であるのは同じだ。