本田直之×安藤美冬【第3回】
企業のあり方も変わってきているから、今までと同じように選ぶ必要はない

【第2回】はこちらをご覧ください。

最初に入った会社で仕事のベースがつくられた

安藤: 本田さんご自身は、大学を卒業後、就職。その後転職、留学を経験し、30代で会社を上場させています。その後、現在では自分の会社を持ってハワイと東京を中心に海外を飛び回る「ノマドライフ」を実践。本の執筆、講演、商品プロデュ―ス、複数の店舗への出資や会社役員など実にさまざまな仕事をされています。

そんな本田さんにご自身の働き方についてお聞きしていきます。まず最初に、大学卒業後に会社を選ぶときの基準は何だったのでしょうか。

本田: 俺は、たまたま入った最初の会社が自分に合っていたというところもあるんだけども。

安藤: たまたま?

本田: その頃は1989年とか90年だから、インターネットもあるわけじゃない。情報といったら人に聞くとかOBと話すとか、それこそリクナビが昔は分厚い本だったから。

安藤: 本だったんですね。

本田: 事典くらいの大きさで10冊くらいあって。そこから探すしかないわけで、やっぱりベンチャーとかは分からないわけ。ベンチャー企業の情報は載ってないないから。

だから、最初は大企業を受けていたんだけど、ことごとく受からなかった。結局合わないからそうなるわけなんだけど。いろいろ見た中で最後の最後に出会った、「リード」っていう会社が良かったんだよ。最初にそこに入ったんだけど、今の俺の仕事のベースは、あそこでできたと言っても過言ではない感じで。上司もたまたますごいいい人だったし。

安藤: 例えば、どういうところが自分に合っていたんですか?

本田:  新卒とかあまり関係ないっていう空気で、いきなりいろんなことを自分に任せてくれた。やれるんだったら、自分でいろんな仕事をやっちゃってもいいから、どんどん仕事の幅も広がっていった。

あとは、ビジネスモデルが「産業見本市を主催する」ことだったから、1年に1回完結することもよかった。「産業見本市」っていう目に見えない、しかも1年先のものを売らなきゃいけないわけ。プロダクトがあれば、「この性能がどうで」って言いやすいんだけど、形のないものを相手に買ってもらうっていうことってすごく難しくて。

安藤: 確かに。図面なんかを見せて、スペースを買ってもらったりするんですよね。

本田: そう。まだその頃、産業見本市っていうビジネスが始まったばっかりだったから、それを説明しなきゃいけないわけ。「これ何なの?」っていうところから始まって、「そこでビジネスをしてもらうための場所であって、イベントとは違います、よくあるモーターショーとかとは違うんですよ」と説明する。形のないものだからこそ、売っている本人、人間を理解してもらって、信用してもらえないと買ってもらえない。

かつ、形のないものを売るっていうことは、形を作れるわけなので、産業見本市自体をよりいいものにすることもできる。営業をしながら、お客さんからニーズを聞いて、同時にそれを反映させながら作っていくこともできるわけで。モノ作りをしながら、営業もして……それを繰り返している。だから、どんどん良くもできるんです。

その業界のことが分かれば、力関係も分かってきて、どこから攻めたほうがいいのかも分かってくる。それが、すごくよかった。「これ、モノが悪いからダメだ」とかじゃなくて、自分で責任もとれるし、いいモノを作れば、また売れたりする。3年間だったけど、非常にあのときの仕事は勉強になった。しかも、ちょうどバブルがはじけて景気が悪かったけど、それも良かった。景気が悪いときに仕事をすることほど力がつくことはない。

安藤: 向かい風の中でやっていくわけですからね。

本田: 景気がいいときは、極論を言えば、誰がやってもまあまあ成果出ちゃう。はっきり言って、実力がなくてもそこそこいけちゃうんだよね。それって後で景気が悪くなったときに「自分の能力じゃなくて景気が悪いから」「俺はこんなにできたのに」ってなっちゃったりする。努力もしなくなっちゃうし。

タイミングとか、選んだ会社がたまたまよかった。本当にラッキー。

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