『臨時軍事費特別会計』著:鈴木晟
二人の〝山本〟へのオマージュ

本書で、ひときわ言いたかったことは政治家、官僚、そして新聞は軍部をスケープゴートに仕立てあげて自らの行動に口を拭っているということである。これほど質の悪いことはない。敗戦この方われわれ日本国民は、それを承知で見て見ぬ振りをしたのか、あるいは本当に理解できなかったのか、ずっと見過ごしてきたのである。

山本七平から学んだのは、もちろん臨時軍事費だけではない。本書でも引用しているが、太平洋戦争へと転がり落ちて行く時期の日本の政治や陸軍についての山本の著作は筆者には必読の文献であり、欠くことのできない糧である。

なかでも前掲書のほか、『空気の研究』や小室直樹との共著『日本教の社会学』が昭和の戦争を考察する上でとりわけ参考になった。

戦略・戦術ではなく、その場の〝空気〟に支配される軍人の行動様式、本来は敵を打倒すべく合理的に組織された機能集団であるべき軍隊(陸軍)が、その根底に共同体=ムラ(かつて自民党の派閥はムラと称されていたが、そのような意味でのムラと言っていい)としての性格を濃厚に持っていること、また研究や教育の場で普通にいわれる〝軍国主義〟に対する疑念、あるいは『朝日新聞』の本多勝一が採り上げて広く知られるようになった「百人斬り競争」記事のまやかし等々昭和の政治史・軍事史に山本が提示した新たな視点は、筆者には灯台の明かりとなった。

それだから、これまでほとんど独学といっていい道を歩み学問研究上の〝師〟と呼べるものを持たない―だからといって、どうか傲岸不遜な人間と思わないでもらいたい―筆者は、戯れに、あくまでも戯れにだが、〝山本学派〟もしくは〝山本・小室学派〟を自称している(優れた社会学者の小室直樹は山本を高く評価し、その業績を〝山本学〟と命名している)。

もう一人の〝山本〟は、山本夏彦である。

雑誌『室内』の主宰者にして寸鉄人を刺す辛口のコラムニストとして知られた。辛口と言ったが、山本は斜に構えて世間を皮肉な目で見ているわけではない。直木賞受賞の前だったか後だったか忘れたが、某週刊誌でエッセイを連載していた向田邦子を評して、「突然あらわれてほとんど名人である」「この人のコラムはこの週刊誌の宝である」と記している。これは世を拗ねた人間の口から出るような言葉ではない。

ではその山本と昭和史のどこにつながりがあるのか。

山本の読者であればわざわざ指摘するまでもないことだが、『臨時軍事費特別会計』でも引用した『「戦前」という時代』のほか『茶の間の正義』『恋に似たもの』『笑わぬでもなし』など多くの著作で戦前の世相の一端を垣間見せてくれる。

そして、その筆致は戦前戦後を通じて変わるところのない日本人の心や姿形の核心、さらには社会の実相に及ぶ。山本の言に刺激されることが多い筆者は、たとえば―正確ではないかもしれないが―「汚職は国を滅ぼさないが正義は国を滅ぼす」とか「人は金欲・食欲・性欲のほかに人から良心的な人と思われたい欲がある」というような文に接すると、直ぐに五・一五事件や二・二六事件の青年将校が念頭に浮かぶ。彼らの思想や政治綱領よりも、ついそうした視点から事件を見てしまう。