講談社新刊の拙著『臨時軍事費特別会計』は山本七平に負うところが大きい。
田舎から東京の大学に入った者の通弊と思われるのだが、一年時には学問よりは東京見物、二年ともなれば同じように上京してきた同郷や大学で知り合った悪友どもと連れだって「爛れたネオン」の巷を徘徊するのに忙しかった。煙草をくわえながらチー・ポン・リーチにうつつを抜かすのは、昔の大学生には言わずもがなのことである。
昭和の戦争や日米関係の歴史を、少し身を入れて研究してみようと思い立ったのは大学も三年になってからのことである。選択したゼミのテーマが日中戦争・太平洋戦争で、同輩の報告や教授のコメントに反発を感じたことを今もハッキリと憶えている。
戦争の原因について彼らは、社会学でいうところの単一優越要因説(スケープゴート主義)に陥っているのではないか、つまり、責められるべきは〝侵略国〟日本で、その主犯は〝軍国主義〟を奉じる軍部、とりわけ陸軍であるということが何の疑いもなく、ほとんど自明の、所与の大前提のように語られていることに大いに不満を覚えた。
―戦争は、一握りの軍国主義者のせいにして済ませられるほど単純な社会現象ではないし、またスケープゴート主義に陥っては事の実相に迫ることはできまいというのが筆者のごく素朴な感想だった。ならば自分で追究するしかない。
卒業していったん社会にでたが、〝九時から五時〟では無能なことが心底分かってキャンパスに戻り大学院に進んだ。そして、かつての疑問を解消すべく日中戦争・太平洋戦争に関する文献を色々漁ってみたが、満足な解答を見出せなかった。
そんな折りに山本七平の『一下級将校の見た帝国陸軍』に出会った。そこで「臨時軍事費」を知り、戦争が戦費無くして遂行できないこと、および帝国議会が戦費予算を無批判に協賛し続けたことを知った。そして、これをテーマに論文を書こうと思った。しかし財政にも経済にも不案内な筆者には、どこからどう手を付けていったものか、皆目見当がつかない。
そんな折りだった。通っていた大学の、今は何やらの記念館となっている旧図書館の書庫の階段を三階から四階に上っていたとき、あれこれ考えていたためか足下不注意になって蹴躓いてしまった。
四階のリノリウム張りの床に散乱した鉛筆や鉛筆削りやボールペンやルーズリーフを拾おうとして腰をかがめたその手の先、壁際に配置してあった書棚の最下段に大蔵省編纂の『臨時軍事費特別会計始末』という資料が鎮座ましましていたんですね。傍からみればごくささやかな僥倖であろうが、当時の筆者には旱天の慈雨にでも遇ったような気分だった。
こうして、活字となった初めての論文「昭和期の戦費予算と帝国議会」をものにすることができ、そしてこの論文をいわば原資として『臨時軍事費特別会計』がなった。