『働く。なぜ?』著:中澤二朗
「仕事の窓」と見田先生

いや、まだまだあります。「仕事の窓」は古くより言い伝えられてきた大切な言葉、海外から入ってきた大事な言葉を蘇らせてくれます(生業・天職、稼ぐ・働く、Will・Can・Must 、守・破・離、模倣と創造)。さらには、私たちは誰のために働いているのか、高度分業社会と仕事との関係はどうなっているのか、仕事を通じて希望は手に入れられるのか等についてもひもとき、ひいては「職業観」の作り方についても「指針」を与えてくれます。

話は変わりますが、編集部の方から執筆依頼をいただいたのは一年半ほど前、ちょうど家内と安曇野をドライブしている最中でした。「テーマは書きたいものを・・・・・・」というありがたいお話。うれしさのあまりそれ以外のやりとりは忘れてしまいましたが、しかし既にその時「職業観」について書きたいという思いは正直ありました。前著を書いている時に読んだ杉村芳美氏(甲南大学)の次の言葉が頭の奥にこびりつき、いつまでもはがれることがなかったからです。

これほど国民に物質的福祉をもたらしてきたにもかかわらず、あいかわらず企業の活動は利潤追求や企業の論理という言葉で片づけられている。企業の社会的責任や社会活動が言われるが広く理解を得ているとは言い難い。日本の企業社会は戦後五○年を経て、ついに尊敬される地位を獲得することに失敗したと言わなければならない(『職業を生きる精神―平成日本が失いしもの』ミネルヴァ書房、二○○八年)。

しかもそこには、こんな凍るような一言も添えられていました。

勤労否定の風潮で黙視できないのは、企業社会自身がそれに積極的に手を貸していることである。

就活に前向きになれない若者に手をさしのべる。早期離職に走る若者にお節介をやく。それが先行世代の役割であるにもかかわらず、その大のおとなが、しかもよりによって自ら「勤労否定の風潮」をあおっているとしたら、この国はこれからどうなってしまうでしょう。

しかも世の中は「やりたいことがない」「やりたいことがわからない」という言葉であふれています。ほんの少し目線を上げれば、海の向こうに限らずこの国のなかにも「やるべきこと」が山ほどあるにもかかわらず、です。

私たちは今どこにいて、これからどこに向かえばいいのでしょうか。そんな「やりたいこと」と「やるべきこと」の狭間は、どうしたら埋められるのでしょうか。実は、「終章」の「働くなぜ」は、この問いでした。

とはいえその答えはたやすく見つけられるものではありません。豊かさを享受している先進諸国すべてに通じる哲学的課題であれば、私ごときに歯がたつはずがありません。ただ、それでも、私は直観的に、いつの日からか、それは「使命」にヒントがあると思い始めていました。だからこれからの時代は「使命の時代」ではないかと本書で書きました。

むろんこの命名は見田宗介先生(社会学者、東京大学名誉教授)の「戦後区分」(理想の時代、夢の時代、虚構の時代)にあやかったものです。が、実は一つだけ、私自身も勘違いしていたことがあります。「使命」は英語に直せば「ミッション」とばかり思っていたのです。