[虎四ミーティング]
池谷幸雄(体操競技指導者)<後編>「仮面ライダーになりたかった!?」

スポーツコミュニケーションズ

ソウルとバルセロナ、五輪の違い

二宮: 18歳で初めて出場したのがソウル五輪でした。当然、金メダルを狙っていた?
池谷: 自分としては、メダルは狙っていましたが、金メダルとまでは……。というのも、日本は前年の世界選手権で団体戦4位だったんです。ですから、周囲からもあまり期待されていませんでしたそういった中での団体銅メダルでしたから、もう大騒ぎになったんです。

二宮: 初めての大舞台に「足が震える」という選手もいます。「五輪には魔物が棲んでいる」などとも聞きますが、池谷さんはどうでしたか?
池谷: 緊張はしましたけど、楽しかったですね。世界選手権にも出たことがなくて、シニアとして初の世界大会がソウル五輪でした。だから世界で、どのぐらいの位置に自分がいるか、全然わからないわけですよ。ですから、正直“メダルを獲ってやる”というよりも、観光気分でしたね。“五輪はどんなものなのかな”と。五輪では、他の競技の有名な選手に、会えるわけですから、それが嬉しくて嬉しくて。

二宮: ソウル五輪では団体の他に個人種目別のゆかでも銅メダルを獲得しました。その4年後のバルセロナ五輪では、個人種目別のゆかで銀メダルと団体では銅メダルを獲りました。2度目の五輪はどうでしたか?
池谷: 五輪がどういうものなのかということをわかっていたのは、プラスだったと思います。でも、逆に色んなことを知っている分、ダメだった時の恐ろしさもわかっていました。ソウル五輪が終わって、帰って来たらメダリストとそうじゃない人とに、はっきりとわかれましたからね。

二宮: 飛行機を降りて搭乗口に出た時から、その違いがはっきり表れますよね。
池谷: メダリストは飛行機を降りた時に、メダルを掛けるように言われて、記者会見に向かうんです。一方、獲れなかった選手はその場で解散です。その後も、メダリストは天皇皇后両陛下にご挨拶に行ったりテレビ番組で一緒になったりするわけです。ところが、メダルと獲れなかった選手とはまったく会わなくなる。メダルひとつで、天と地の差だなと痛感しましたね。

二宮: ソウルの時は初めてだったからこそ、思いきりできたと。
池谷: 楽しいという思いが先でしたね。一番年下でしたから、気負うことなく“先輩についていけばいいや”と気楽でした。“失敗しても高校生だから、それほど責められない”という感覚だったんですよ。それがバルセロナになると、メダリストですからソウルの時とは立場が逆転していたんです。

二宮: “次は金メダルだ”という期待もありましたしね。
池谷: チームの中でもみんなを引っ張っていかないといけない立ち位置に変わっていました。精神的にもプレッシャーが大きかった。そういう中で試合をしていたので、バルセロナの方が大変でしたね。

二宮: 以前、テレビでコメントされていましたが、ソウルの時は鉄棒とか器具が自分に合ったけど、バルセロナは合わなかったと。それは大会によって違うんですか?
池谷: はい。ソウルの時は日本製の器具だったんです。だからバッチリ合った。バルセロナの時はヨーロッパ製の器具だったので、ゆかでの着地するマットの感触や、鉄棒やつり輪でのバネのしなり方がまったく違いました。

二宮: 日本とヨーロッパではどう違うのでしょう?
池谷: ヨーロッパのバネは硬いので、ゆかも全然跳ねないんです。規格内であればいいので、跳ねる跳ねないはすごく器具によって差が生まれてしまうんです。特に、僕らの時代は海外製の器具をほとんど買ってもらえなかったので、いつも行き当たりばったり。今は、事前に本番用の器具を取り寄せたりして対応しています、選手にとっては大変は大変ですね。