「意識は、そして科学は“幻想”なの?」大栗博司×池谷裕二、激論!

ブルーバックス創刊50年記念特別対談
大栗 博司, 池谷 裕二 プロフィール

池谷: 数学者は数学を、絶対的な、神のようなものがいる世界と想定しているのですね。

大栗: 物理学ではそうはいきません。たとえばイルカが人間と同じニュートン力学をつくれるかというと、たぶんつくれない。というのはニュートン力学では摩擦というものが存在しない理想的な状態を考えますが、それは僕らの世界では空気摩擦が小さいからできるのであって、水中の世界ではやはり水の粘性が大きいから、イルカが人間と同じ物理理論をつくるのは、なかなか難しい(笑)。

池谷: そうですよね。この世界は、見る者によっていろんな見え方になる。カエルの脳を調べるとわかるんですが、カエルは動いているものにしか反応できないんです。目の前を飛んでいるハエはすばやく舌を伸ばして捕まえるけど、止まっているものは見えない。たぶん、カエルの世界では質量保存の法則は成り立ちません(笑)。

大栗: ところが物理学をつくっている数学という言語は、この世界を驚くほどよく説明できるんです。なぜそこまで説明できるのか、いまだにわからないのですが……。これについてユージン・ウィグナーという物理学者はUnreasonable effectiveness of mathematics(理不尽なほどの数学の力強さ)という言葉を残しています。なぜだかはわからないけど、ここまで世界を説明できて、理解できるのは本当にすごいことで、じゃあどこまでいけるかやってみよう! と、われわれ物理学者はトライしているわけです。

池谷: しかし、先生の本にもありましたが、たとえば記述しようとする世界のスケールが変わると、違う数学をもってこなくてはならなくなるのですね?

大栗博司著 『大栗先生の超弦理論入門

大栗: そうです。われわれの日常的な世界を記述するにはニュートン力学でよかったのですが、二〇世紀になって物理学が扱う対象が宇宙のスケールになると新しい数学が必要になり、アインシュタインが相対性理論をつくりました。そのあと今度は、素粒子のミクロな世界に迫るための数学が必要になり、紆余曲折の末に生まれたのが、物質の基本は点ではなくひもであるとする超弦理論です。私は二一世紀の数学は超弦理論だと考えています。

池谷: そうした数学を駆使して、物理学者が目に見えない自然現象を「卓上の計算」によって予言すると、実験の結果、それらがみごとに当たるということですね。

大栗: 当たったこともある(笑)。

池谷: そこが理論物理学のすごさ、面白さであることはわかりますが、引っかかるところもあるんです。たとえばヒッグス粒子が加速器で見つかって、素粒子理論の予言が正しかったといわれましたが、さきほどの反証可能性という考え方からすれば、理論の反証に一つ失敗しただけという見方もできますよね。

大栗: たしかに、理論が正しいことの証明にはなっていません。

池谷: それなのに、この理論は正しいという前提に立ってしまってよいのでしょうか。

大栗: それは、科学とは何か、科学はなぜ正しいのか、という問題になってきます。数学の場合は、本当に正しいんです。数学の定理は一度、証明できてしまえば永遠に正しい。数学が好きな人はそこに魅力を感じているわけですね。

でも、科学はそうではない。数学を使って現実世界を記述する場合、古い理論は必ず、新しい理論に乗り越えられるんです。ただし乗り越えるとは、まったく違う理論になることではありません。従来の理論では説明がつかない現象が見つかったときに、その理論に建て増しをしていくような感じなんです。そこに一般の方々の誤解があるようにも思いますが、まったく更地にして新しい家を建てるのではなく、これまでの理論はある範囲までは正しかったけど、ここから先はより精密な理論にしなくちゃ、という階層構造になっているんです。過去四百年の近代科学は、そういう形で進歩してきたんですね。

池谷: 測る場所が悪い、という言い方もされますね。測り方に問題はあったけど、古い理論も大筋では間違っていなかったと?

大栗: そうです。なぜ大きく間違わずにこれたのかは、不思議といえば不思議ですがね。

池谷: そう、本当に不思議です。考えるほどに「科学」の意味がわからなくなる(笑)。

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