長谷川幸洋「テレビと新聞や活字媒体はどこが違うのか」

自分の感性が活字メディアのキモ

私は本業である新聞のほかにも、これまで月刊誌や週刊誌、書籍、テレビ、ラジオ、ネット媒体などで幅広く仕事をしてきた。テレビでは、田原総一朗が司会を務める「朝まで生テレビ!」や「激論!クロスファイア」、あるいは「ビートたけしのTVタックル」「たかじんのそこまで言って委員会」など名物番組に出演する機会も得た。

そこで今回は、私の体験的メディア論を書いてみよう。

「マスコミ」や「メディア」などと一括りに言われるが、情報を発信する側から言うと、媒体によって実はかなり仕事の仕方が異なる。とりわけ活字媒体とテレビはまったく別物と言ってもいい。

どう違うかといえば、活字は基本的に自分が1人で考えて書く作業だ。相手はいない。ところが、いま挙げたようなテレビ番組は必ず相手がいる。そこが根本的に違うのである。
活字の世界とは、まさにいま、この原稿をパソコンに向かって書いている最中がそうなのだが、だれとも会話せず、1人でテーマを決めて話を展開していく孤独な作業である。だから、何かに触発されるとしても、それは基本的に自分自身がひらめくしかない。待っているだけで、だれかが私にアイデアやヒントを与えてくれるわけではないのだ。

私の場合は、週に2本抱えている連載コラムのテーマや話の展開を四六時中、いつもずっと考えている。ベッドの中で突然、ひらめくときもあれば、電車の中で思いつくときもある。流し読みした新聞や雑誌の記事がヒントになるときは、もちろんある。だが、それ以上に自分自身の感性が研ぎ澄まされているかどうか、のほうがはるかに重要だ。

残念ながら、私はいつも感性が研ぎ澄まされているわけではないので、記事を読み飛ばした後になって「あの話はどこか、おかしいんじゃないか」と気付くときのほうが多い。もちろん、読んだ瞬間に「これはおかしい」と感じる場合もあるが、そういうケースはたいていコラムで取り上げるほど、面白い話ではない。

面白い話になるのは、どういうわけか、いったん見過ごしていて、少し時間が経ってから「あ、あの話はあそこがおかしいんだ」と気付くケースなのだ。それは、私の能力がその程度だからである。だが、活字の仕事というのは、多かれ少なかれ、そういう面があるのではないか。

つまり何事かを書いて人に伝える仕事というのは、活字に落としこむ前に、1人になって、じっくり考えてみるプロセスが不可欠なのだ。

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