[裏方NAVI]
原健介(日本体育大学駅伝部コンディショニングトレーナー)<後編>「“追い風”となった箱根の向かい風」

スポーツコミュニケーションズ

BCTが生み出した快走

 1区で7位だった日体大は、2区で一気に3位に浮上し、トップをいく東洋大を追いかけた。風の強さが増せば増すほど、日体大の選手たちは、本領発揮とばかりに力強い走りを見せた。4区で2位に上がり、平塚中継所で5区・服部翔大にたすきを渡した時点では、トップの東洋大との差は1分49秒。往路での優勝は、3年生(当時)ながら主将に抜擢された服部に託された。服部は後方から追い上げてきた早稲田大・山本修平とともに、14.4キロ地点で東洋大・定方俊樹を抜いてトップに躍り出る。そこから服部、山本のマッチレースが繰り広げられた。

 しかし、この時既に2人には体力的にも精神的にも差があった。
「服部は、並びながら相手の走る姿を見て、自分との違いを感じていたそうです。映像で見ててもわかりましたが、強風にあおられながら苦しそうに頭を振って走っている相手の選手に対して、服部はきれいな姿勢で走っていました。伴走車に乗って後ろから見ていた別府監督も『よし、これはいける』と思っていたそうです」

 服部は最も傾斜のきつい宮ノ下坂にさしかかったところで、スパートをかけた。案の定、山本は服部についていくことができなかった。服部はそのまま独走体勢に入り、トップでゴールテープを切った。標高874メートルの最高到達点では風速18メートルもの強風が吹き荒れる中での厳しいレースだった。だが、それは日体大にとっては恵みの風だったのだ。

 翌日の復路でも、日体大は風の恩恵を受けた。風の向きは前日とは逆方向。つまり、箱根から東京に向かう選手たちにとっては、またも向かい風との戦いとなったのだ。別府監督の頬は自然と緩んだに違いない。その指揮官の予想を上回る走りを見せたのが、6区・鈴木悠介だった。鈴木は下りではずば抜けて強さを発揮するものの、登りは目を覆いたくなるほど弱かった。6区は「山を下る」というイメージがあるが、実は前半に5キロの登りがある。いくら往路で貯金をつくっても、その5キロで貯金を全て使い果たしてしまえば、元も子もない。

「鈴木は背中を反らすようなフォームなんです。だから、下りではちょうどいい姿勢になるから強い。逆に登りになると、視線が上になって顎が上がりやすいんです。それでは前に進むことはできない。とはいっても、前かがみになればいいかというと、そうではないんです。よく登りでは『前傾姿勢で』と言われますよね。そうすると、頭を下げると勘違いする人が多い。でも、違うんです。要はどれだけ目線をずらさずに、姿勢をキープすることができるかなんです。それは、登りでも下りでも、そして平地でも同じこと。そのためには、体幹部分を鍛えることが重要なんです」
 その体幹部分を鍛えるためにつくられたBCTは、鈴木の走りを変えた。

 1月3日午前8時、鈴木はひとり箱根をスタートした。2位・早大との差は2分35秒。その4秒後には東洋大が続いていた。後続のチームはいずれも下りの6区で、できるだけ詰めたいと考えていたに違いない。鈴木が登りに弱いことも計算に入れていただろう。だが、小田原中継所での2位・東洋大との差は2分22秒。ほとんど差は詰まらなかった。向かい風が吹く中、鈴木は指揮官の計算よりも速いタイムで走ってみせた。

 鈴木の快走が、その後の大きなアドバンテージとなり、チームに勢いをもたらせた。7区以降、日体大は東洋大との差を広げていき、中継所でたすきが渡るたびに、日体大の優勝は現実味を増した。結局、2位・東洋大に4分54秒差をつけての圧勝で、日体大は30年ぶりの栄冠を手にした。すべては1年間継続して行なってきたトレーニングの賜物だった――。