撮影:立木義浩
第2回はこちらをご覧ください。
シマジ 「ごきげん」といえば、上流社会ではいまでも「ごきげんよう」といいますよね。
辻 そうです。皇室でも「さようなら」ではなく「ごきげんよう」といいます。
シマジ おれたち庶民は「じゃあ、またね」というところを「ごきげんよう」というわけだ。おれもこれから「ごきげんよう」にしようかな。
立木 やめてくれ。もしお前が「ごきげんよう」なんていい出したら、おれはもう二度とこないよ。いつもバカみたいにごきげんな男に「ごきげんよう」なんていわれたら気色が悪い。
辻 「ごきげんよう」はともかく、わたしが考えた「ごきげん道」というものは、英語でいうと、心が「フロー」している状態のことなんです。まあ、流れているというか、留まっている感じがないことですね。何かに心が揺らいだり、囚われたりせず、自由であることが大切なんです。
「フロー」というのはアメリカの心理学者ミハイ・チクセントミハイ先生が提唱している理論なんですが、日本でも古くは宮本武蔵が『五輪書』水の巻でいっていることと同じなんです。
武蔵は「鍛錬」という言葉で説明しています。「千日(せんじつ)の稽古を鍛とし、万日(まんじつ)の稽古を錬とす」と。すなわち千日の稽古で技芸や心身を鍛え、万日の稽古でそれをさらに練り上げる。そうすることで武芸者として心の状態が自由になるわけです。
これは一種の脳のライフスキルです。ごきげんになる思考の習慣を身につけることです。たとえばイチローやマー君の心は「フロー」しているのだと言えるでしょう。