先週、電車の中で見かけた週刊誌の中吊り広告には、あちこちで『あまちゃん』『半沢直樹』という2つの大人気ドラマの最終回に向けた賛辞と惜別の見出しが躍っていました。"日本中が"というと大袈裟かもしれませんが、世代を超えて多くの方が、2つのドラマのいずれかに、あるいは両方に"ハマった"のは事実でしょう。
わが家でも、小学6年生の次男を中心に、この2つのドラマを欠かさず見ておりました。大きなお世話だと思うのですが、次男曰く「半沢の後のキムタクは大変だよね~」。
ちなみに、私も先週、アドテック東京(東京国際フォーラム)というイベントのセミナーで「マーケティング×ストーリーテリング」という真面目なお話をさせていただいたのですが、その際に『半沢直樹』を題材にしました。この記事を含め、しっかり便乗させてもらっているわけです。
ただ、せっかくなので、少しだけ真面目な話を。この2つのドラマを題材に、物語の構造と、人が物語に"ハマる"とはどういうことなのかについて考えてみましょう。
物語の構造論*から考えると、ストーリーテリング*は「ストーリー=筋」と「テリング=描写」から成ります。
"ストーリー"とは、起承転結でも、三幕物でも、つまりは、何がどうしてどうなったという話の展開を指します。一方、"テリング(描写)"は、それがどんなお話なのか。喜劇なのか、悲劇なのか、物語の語り口や演出です。
「ストーリー=筋」とは事の運び方です。スリリングな展開やドラマチックな展開など、お話の転がり方の問題です。この"筋"の善し悪しを考える上で、わかりやすい事例は、落語でしょう。話芸のプロである噺家がおしゃべりするという前提で、作品=筋なわけです。これをテレビ版に焼き直したのが、『人志松本のすべらない話』(フジテレビ)で、"すべらない"筋の良さを競っているわけです。
では、一方の「テリング=描写」とは何か。一言で言えば、その物語独特の世界観です。
例えば、『半沢直樹』で言えば、片岡愛之助さん演じる「おねえ口調×歌舞伎の発声」の黒崎検査官。さらに、香川照之さん演じる敵役・大和田常務の"悪(ワル)"が過ぎる顔。どちらも、歌舞伎の血筋を感じる演技です。
ちなみに、主役の堺雅人"さん"は、早稲田大学演劇研究会の私の後輩です(ビッグになってしまったな~。感慨深いです。彼は、当時から「泣き顔」みたいな「笑顔」が魅力でした)。
舞台で鍛えられた彼の滑舌(カツゼツ)の良さと小気味い長台詞は、実はフジテレビの連続ドラマ「リーガルハイ」(パート2が今秋からスタート)でも人気を博しました。一見すると優男(やさおとこ)の堺雅人。しかし、戦闘モードに入ったときには、まるで機関銃をぶっ放すように、強烈なまでにまくし立てる言葉の乱射劇は圧巻です。
『半沢直樹』の最大の特徴は、時代劇のようにわかりやすい勧善懲悪の「ストーリー」と、それを彩る「テリング」として、舞台出身のキャストならではの「見得」と「台詞回し」にあります。