辻秀一 第2回 「ごきげんな気がフローすれば、こころは揺らがず囚われず、自由でいられる」

島地 勝彦 プロフィール

 ご忠告有り難うございます。

わたしの持論は「スポーツは文化だ」ということです。日本に「文化の日」と「体育の日」が別々にあるのはおかしいと常日頃から思っているんですよ。クオリティー・オブ・ライフの向上のためのライフスキルを学んだり、全人格的に人を豊かにする文化としてスポーツはあるのです。スポーツはこころをごきげんにするための一種のスキルなんです。

わたしが病院から外に抜け出して、スポーツ心理学の道に入ったもう一つの要因は、患者さんには悪いんですが、さまざまな病気を抱える方を毎日数多く診ていると、こちらも病気になるぐらい憂鬱な気持ちになってしまい、この仕事はわたしには合わない、と直感したことなんです。

シマジ そういえば先日、養老孟司先生とここで「夕刊フジ」の対談をしたとき、養老先生も同じようなことを仰っていました。

「どんなに一生懸命医者が助けようとしても、患者さんが亡くなることがよくあるんです。そのダメージが若いころのわたしには堪えられなくて、死体を解剖する道に入った。死体は二度と死にませんからね」と。

 うーん、なるほど。含蓄のある言葉ですね。養老先生は栄光学園のわたしの大先輩です。年を取っても優れて元気で明晰な頭脳の持ち主というのは、自分をいつも"ごきげん"な精神状態においておく才能があるんですよね。

シマジ そうそう、辻先生の近著『自分を「ごきげん」にする方法』の話をしなければなりませんでした。わたしも「元気こそ正義」という格言を作ったことがあります。人は元気でないと"ごきげん"にはなれませんからね。

 そうです。「ごきげん」こそ自分が幸せになれるパワーであり、またそれが他人をごきげんにするのです。肉体のなかをごきげんな気がフローすれば、こころは揺らがず囚われず、自由でいられるわけです。

ノンフロー、つまりごきげんな気が滞ってしまった人は、ストレスが溜まりやすく、憂鬱になったり、終いには病気になったりします。単刀直入にいえば、「ごきげん」の先にこそ幸せがあるのです。わたしはそれを「ごきげん道」と呼んでいます。