千葉ロッテ・内野手井口資仁
「けっして熱くならない」それがオレのやり方

週刊現代 プロフィール

 とりわけ川島にとって、米国戦でのダメ押しソロは忘れられない。

「実は予選リーグの米国戦の後、井口は左手首を痛めていたんです。選手村に帰る途中、バスが急ブレーキをかけたものだから変なかたちで左手を前の柱についてしまった。

 しかし、一切、弱音を吐かず、痛み止めの薬を飲み、テーピングをしながら試合に出続けた。心身ともにタフな男だと感心しました」

 この年のオフ、井口は通算24本塁打という東都大学リーグのホームラン記録を引っさげ、逆指名(1位)でダイエーに入団する。2位はアトランタ五輪代表の同僚・松中信彦だった。

 打ってよし、守ってよし、走ってよし。三拍子揃った大型ショートの入団を監督の王貞治は喜んだ。

「ドラフトの一番の目玉。うちは若いチームなので井口君の加入が良い刺激になるはず」

 '95年に監督に就任した王だが、チームは5位、最下位と低迷し、'96年にはファンからチームバスにタマゴをぶつけられる騒ぎも起きていた。それゆえ即戦力ルーキーへの期待は大きかった。

 果たして井口は本物だった。初めて出場した近鉄戦で、いきなり史上初のデビュー戦満塁ホームランを福岡ドームのレフトスタンドに叩き込んでみせたのだ。

「追い込まれていたので、思いっきりいこうと思った。でも、打ったのはフォークボールのすっぽ抜けです」

 満面の笑みを浮かべて、井口はそう語った。

 だが、そこから先に待ち受けていたのは長くて暗いトンネルだった。快音はピタリと止み、打席とベンチを往復する日々が続いた。

 1年目は76試合に出場して打率2割3厘、8本塁打。本拠地の広さを考えればホームラン数はまずまずだが、率が低すぎた。

 2年目、21本塁打、2割2分1厘。
 3年目、14本塁打、2割2分4厘。
 4年目、7本塁打、2割4分7厘。

 3年目の'99年にはダイエーとして初めてペナントレースを制し、その余勢を駆って日本一にまでなったものの、井口の打順は開幕当初の3番から下位に落ちていた。要は安定性に欠けたのだ。