第47回クルップ(その一)
「死の商人」---軍需メーカーとして戦争の「発展」に大いに貢献する

福田 和也

十二週間のドイツ全土旅行で莫大な注文を受けた

クルップ商会の事実上の創始者、アルフレート・クルップは、辛酸を嘗めた人物である。
十三歳で、学業を諦め、十四歳の時に父を失った。
破産同様の状況で、当時、工員は七人しかいなかった。
父の死後、文字に明るくなかった母、テレーゼに代わって、得意先に挨拶状を配ったという。

「夫がなくなりましても、事業にはまったく支障はございません。夫は息子に鋳鋼の秘訣を伝授いたしました。夫の闘病中、息子は独力で工場を経営しております。今後は、私も、息子を助けて、家業を守りたく、存じております」

アルフレート・クルップ(1812~87) 14歳で父から受け継いだ破産同然のクルップ商会を大きく飛躍させ、「大砲王」と呼ばれた

当時、ドイツは、三十九の小邦に分裂していた。
ドイツ諸国の中で、もっとも秀でていたプロイセンは、農奴制の撤廃、ギルドの廃止を行い、ついで六十項目に及ぶ国内関税を廃止し、北ドイツ関税同盟を、結成した。

同盟結成を機に、クルップは十二週間に及ぶ、大旅行に乗りだした。
圧延機や鋼材といった見本を馬車に積み込み、ドイツ全土を周遊しながら、各地で注文を受けつけたのである。

強行軍のため、ミュンヘンとベルリンで床についたが、こなし切れないほどの注文を得られた。

そこから、クルップ商会の飛躍がはじまった。
当時、工業の現場で、主要な動力は水であった。
しかし、水力では、天候などの要因で、常に一定の動力を維持する事は難しい。
そこで、クルップ商会は、思い切って、工場に蒸気機関を設置したのである。

蒸気機関の効力は絶大だった。
当初、一台だった機関は、すぐに四台に増えた。
蒸気機関は、ハンマーを繰り出し、ピストンを上下させ、休みなく働いた。
蒸気機関の発達は、旧来の工程を駆逐した。
アルフレートは、少年時代からの夢だった馬を飼い、馬車も手にいれた。

一八三八年、アルフレートは、はじめての国外旅行に赴いた。
パリでアルフレートは、金鍍金工場や金細工師などから、大量の注文を受けたという。
予想以上の注文を獲得し、一日中、発注のための書類を整えた。
そして、目的の地、イギリスに着いた。

アルフレートは、イギリスではシュロップと名乗っていた。
いわゆる、産業スパイの隠れ蓑という訳である。

『週刊現代』2013年9月14日号より