取材・文/井上華織
—売り上げがすでに10万部超、大きな反響を呼んでいる『タモリ論』ですが、執筆の経緯は樋口さんのデビュー小説『さらば雑司ヶ谷』の一節が大きく関係しているそうですね。
登場人物たちが人類史上もっとも優れたミュージシャンを論じ合う場面で、「小沢健二だ」という意見が出ます。みんなが疑問に思うなか、「四半世紀、お昼の生放送の司会を務めて気が狂わない、あのタモリが絶賛した」と言われて、「タモリが言うなら仕方ないか」と納得する—本編とは直接関係のないこの一節が独り歩きして、一冊の新書になりました。
このエピソードがタモリさんを見直したきっかけのひとつなんです。オザケンが『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出たとき、タモリさんは歌詞の素晴らしさを挙げて「オレ、あそこまで人生肯定できないもん」とおっしゃいました。その一言で、「この人は毎日飄々と生放送をやっているように見えるけれど、心の内には闇や絶望を抱えているんだな」と強く感じた。「やっぱりすごい人なんだ」とつくづく思い知らされたんです。
近年だと、赤塚不二夫先生の告別式で読み上げた白紙の弔辞でタモリさんのすごさを知った人も多いでしょうね。
—人は誰しもいつか必ずタモリのすごさに気づくときがある。それを「タモリブレイク」と呼ぶと本の中でも触れてらっしゃいます。
僕も学生時代はテレフォンショッキングの「そうですね」のやり取りを「緩慢な日常」の象徴のように感じて唾棄していたんです。でも「タモリブレイク」以後、『いいとも!』に対する認識が変わっていった。
キープオンってものすごく難しいことです。ローリング・ストーンズよりセックス・ピストルズのような打ち上げ花火に憧れてしまいますけど。タモリさんと同じ早稲田大学で1歳上の久米宏さんも、昨日と見分けのつかない日々に疲れて『ニュースステーション』を降板してしまった。それなのにタモリさんは30年以上ほとんど休まず、お昼の生放送に出続けている。