二宮寿朗「仙台のエールに見た日本の応援文化」

二宮 寿朗 プロフィール

エール交換は海外に誇れるスタイル

 もう20年前になるだろうか。学生時代に警備会社で3年ほどアルバイトをしていた筆者は、Jリーグ開幕当初、ヴェルディ川崎(現東京Ⅴ)のホームゲームで場内警備員を務めた。180センチ以上ある見掛け倒しの体格を買われてか、熱狂するサポーター席の前に立たされて「見張り」をするのが仕事だった。

 カズ(三浦知良)、ラモス瑠偉、北澤豪などスター集団だったヴェルディの人気は凄まじく、いつも等々力競技場は満杯。黄色い声援もあれば、熱く後押ししようと威圧的な応援もある。アウェー側も同じだった。そんななかで禁止されていた発炎筒を持ち込んでくる過激なサポーターも少なくなく、実際に火をつけられたこともあった。止めに入るとにらみつけられ、頑張って仏頂面をつくったものだ。まあ試合が終われば「おつかれさん」と笑顔で声を掛けられたものだが。

 話が脱線してしまった。つまり、当時のJリーグはまだ応援スタイルを模索している段階であった。発炎筒も単に海外サッカーの応援スタイルから持ち込んだもので、どのように日本流にアレンジしようかという黎明期でもあった。

 その後、Jリーグの各クラブのサポーターたちは海外を参考にしながら手づくりで各々のスタイルを確立させてきた。試合の最初から最後まで歌い続けて後押しするところもあれば、ここぞというときに渾身のチャントを送ることを大事にしているクラブもある。J1、J2全クラブの応援に、それぞれの色、個性がある。そのなかでエールは日本特有の応援文化のひとつだ。

 例えばJ1初昇格を果たしたクラブが、本拠地で初めて対戦する相手クラブに対して「ようこそ」の意味をこめて試合前ににエールを送る光景を目にしたこともある。各地いろいろなエールがあるが、新聞記者時代の友人から聞いたモンテディオ山形と水戸ホーリーホックの掛け合いエールの話は忘れられない。

 2008年シーズン、山形はJ2で2位以上が確定し、J1昇格を決めた後の最終戦で対戦したのが水戸だった。すると試合前、サポーター同士のエール交換が始まったそうだ。

 山形サポーター「抜け駆けごめん」
 水戸サポーター「待ってろ山形」
 山形サポーター「待ってる水戸」
 水戸サポーター「帰ってくるな」
 山形サポーター「行ってきます」

 まるで打ち合わせがあったかのような見事な掛け合いだ。これぞ究極のエール交換である。相手を尊重しつつ、自分たちの覚悟も示す。海外に誇れる、素晴らしい応援文化が日本には存在しており、今もなお根を張っているのだ。

 エールとは性質が異なるのかもしれないが今年5月のサンフレッチェ広島対大宮アルディージャの一戦も印象に残っている。広島のGK増田卓也が大宮の選手と激突してピッチに倒れこんだ際、大宮側からも自然発生的に大きな増田コールが起こった。このコールが増田を励まし、「スタジアムにいた皆さんが僕の名前をコールしてくれましたが、その声はちゃんと聞こえていました」と彼は両サポーターに対して、クラブを通じて感謝の言葉をのべている。

 Jリーグ20周年を語るにおいて、サポーターの20年が今の日本のサッカー文化を支えていることも忘れてはならない。またどこかでいいエール交換の場に出合えることを願っている。