脳には「幽体離脱」用の回路があった! 池谷裕二先生連続講義

『単純な脳、複雑な「私」』最終回
池谷 裕二 プロフィール

 刺激された人によれば「自分が2メートルぐらい浮かび上がって、天井のすぐ下から、自分がベッドに寝ているのが部分的に見える」という。これは何だ?

──幽体離脱。

 その通り。幽体離脱だね。専門的には「体外離脱体験」と言う。心が身体の外にワープして、宙に浮かぶというわけ。

 幽体離脱なんていうと、オカルトというか、スピリチュアルというか、そんな非科学的な雰囲気があるでしょ。でもね、刺激すると幽体離脱を生じさせる脳部位が実際にあるんだ。つまり、脳は幽体離脱を生み出すための回路を用意している。

 たしかに、幽体離脱はそれほど珍しい現象ではない。人口の3割ぐらいは経験すると言われている。ただし、起こったとしても一生に1回程度。そのぐらい頻度が低い現象なんだ。だから科学の対象になりにくい。

 だってさ、幽体離脱の研究がしたいと思ったら、いつだれに生じるかもわからない幽体離脱をじっと待ってないといけないわけでしょ。だから現実には実験にならないんだ。つまり、研究の対象としては不向きなのね。

 でも、研究できないからといって、それは「ない」という意味じゃないよね。現に幽体離脱は実在する脳の現象だ。それが今や装置を使って脳を刺激すれば、いつでも幽体離脱を人工的に起こせるようになった。

他人の視点から自分を眺めよう

 でも、幽体離脱の能力はそんなに奇異なものだろうか? だって、幽体離脱とは、自分を外から見るということでしょ。

 サッカーをやってる人だったらわかるよね。サッカーの上手な人は試合中、ピッチの上空から自分のプレイが見えると言うじゃない。あれも広い意味での幽体離脱だよね。俯瞰的な視点で自分を眺めることができるから、巧みなプレイが可能になる。サッカーに限らず、優れたスポーツ選手は卓越した幽体離脱の能力を持っている人が多いと思う。

 スポーツ選手だけではなくて、僕らにもあるはずだよね。たとえば、何かを行おうと思ったとき、障害や困難にぶつかったり、失敗したりする。そういうときには反省するでしょう。

 どうしてうまくいかないのだろうとか。あるいは自分の欠点は何だろうとか。それから女の人だったら、「私は他人からどんなふうに見えているかしら」と考えながら、お洒落や化粧をする。こうした感覚は一種の幽体離脱だと言っていい。自分自身を自分の身体の外側から客観視しているからね。

 他人の視点から自分を眺めることができないと、僕らは人間的に成長できない。自分の悪いところに気づくのも、嫌な性格を直すのも、あくまでも「他人の目から見たら、俺のこういう部分は嫌われるな」と気づいて、はじめて修正できる。だから僕は、幽体離脱の能力は、ヒトの社会性を生むために必要な能力の一部だと考えている。