第45回 石橋正二郎(その二) 陸軍も海軍もタイヤを欲した―石橋と鳩山を結んだ大戦の「緊迫」とは

福田 和也

石橋と鳩山一郎が親しくなったのは、相撲見物がきっかけだった。
藤山雷太―三井銀行、芝浦製作所、王子製紙、大日本製糖の社長―の下で働いている小倉敬止という久留米出身の老人が二人を相撲に招いたのである。

昭和十六年前後、軍部の台頭はすさまじく、支那事変から英米との開戦へと至る厳しい時期であった。
鳩山は、いかに情勢が緊迫しているか、を石橋に説いた。
きわめて深刻な話なので、互いの家を往き来するようになったのである。

日本最強の閨閥が誕生する瞬間

そのうち、鳩山が、給仕に出てくる娘、安子に気がつき、息子の嫁にくれないか、と持ちかけたという。
石橋は驚き、妻の昌子も言下に否定した。

「片方は政治家で学者だが、私は商売人。思想も違うし、娘がかわいそうだからとお断りした。鳩山さんの長男の威一郎君はそのころ軍艦に乗っていたのでいつ戦死するか分らない。『縁談してから後家になったら困る。本人が希望すればいいけれども、遠くに行っているのだし、親だけが希望しても本人がきらいになったら、かわいそうだから』といったところ鳩山さんは『そんなことはない。自分たちが責任をもってやるから』という。『あなたは民主主義の方なのに、子供の意思を無視して縁談を決めるなどはむりだ』と逆襲したが、どうしてもきかない」(『私の履歴書』)

石橋は、軽井沢の別荘で休暇中の威一郎と会い、縁談はまとまった。
かくして、財界を代表する石橋家と、政界を牛耳る鳩山家という、日本最強の閨閥が誕生したのである。

鳩山安子(1922~2013)正二郎の長女・安子(写真中央)は元総理大臣・由紀夫(右)と元総務大臣・邦夫(左)を育て、ゴッドマザーと呼ばれた

長い戦争が終った。
軍需工場に管理官として出向していた中佐が、一切の書類を焼いてしまった。
アメリカ軍が進駐してくれば、これまでの経緯を取り調べられると思ったらしい。
仕掛品や製品まで焼かれた。

従業員を募集すると、様々な人たちが集まった。その中には、共産党員も含まれていた。彼らは、石橋は戦争協力者であり、戦争利得者だと非難した。
共産党が指導した組合は、賃金を二倍にする事、一切の人事異動について、組合の承認を得る事、という二つの要求を掲げた。

石橋は、咄嗟に、賃金の二倍増は受け容れ、人事権は拒否した。
組合代表が再三訪れたけれど、相手にしなかった。