長谷川幸洋「政治の正統性」に鈍感なメディアの体質

〔PHOTO〕gettyimages

なぜ政治番組や記事は物足りないのか

新聞をはじめメディアが政治について報道するとき、どのように記事や番組の内容を「発想」しているのだろうか。簡単にいえば、なにが「面白い」と思って取材して記事を書いたり、番組を作ったりしているのだろうか。

たとえば「選挙や党内の権力闘争では、だれが勝ちそうか」とか「いま何が焦点になっていて、どうなりそうか」「国内外の交渉事はどんな結論に落ち着きそうか」といったテーマは定番だ。こういう切り口の記事や番組はそれなりに面白い。だからといって、政治の本質に迫っているかと言えば、私にはどうも物足りない。

私は雑誌やネット媒体のコラムやインタビューなどで、しょっちゅう政治問題を扱っているし、講演でも政治をテーマに喋っている。だが、意外に思われるかもしれないが、私自身はいわゆる「政治記者」の経験はまったくない。政治部に属したこともない。

それでよく「政治をテーマにできるな」と思われそうだが、理由の1つは政治を観察するとき、私は政治現象もさることながら「正統性」の問題に強い関心を払っているからかもしれない。正統性の観点から日本の政治を見ていると、言いたいことが山のように出てくるのだ。

逆に言うと、日本の政治には正統性があやしい話がたくさんある。加えてメディアの側も、どうも正統性問題について感度が鈍いのではないか。新聞やテレビは、ほとんど正統性問題を正面から指摘しない。というか、無頓着である。だから、私にも出番があるのかもしれない。

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