二宮清純レポート 千葉ロッテ監督 伊東勤 小心者だから、勝負に勝てるのです

週刊現代 プロフィール

 入団3年目の'84年、伊東の出場試合数は初めて100試合を超え(113)、レギュラーの座を、ほぼ手中にする。

 '03年限りで引退するまで実働22年、通算2379試合。ベストナイン10回、ゴールデングラブ賞11回、この間、14度のリーグ優勝と8度の日本一を経験している。

 個人的に忘れられない日本シリーズでの出来事を2つ紹介しよう。ひとつは伊東の身体的なタフさ、2つ目はクレバーさを象徴している。両方とも捕手にとっては欠かすことのできない大切な資質だ。

 前者は西武の1勝3敗1分で迎えた'86年の広島との日本シリーズ第6戦。敵地の広島市民球場で小林誠二のストレートを顔面に受けた伊東は、その場に崩れ落ちる。担架で救急車に運ばれ、病院に急行した。

 ぶつけた小林の話。

「当たった瞬間、ボールが真下に落ちた。キャッチャーの達川光男さんが"間違っても明日は試合に出られんやろう"とつぶやいたのを覚えています」

 ところが伊東は不死身だった。あろうことか頬を腫らしたまま、何食わぬ顔で翌日の試合に出てきたのだ。

 これには小林も驚き、そして安心した。

「スタメンに彼の名前があった時はホッとしました。ああいうことがあって優勝しても気持ちは晴れませんから。ただ頬のあたりは、まだ赤く染まっていました」

 このシリーズは史上初の第8戦にまでもつれ込み、西武が激闘を制した。

「判断」ではなく「決断」する

 後者はそれから4年後、巨人との日本シリーズ第2戦。西武リードの9回裏の場面で起きた。

 4点リードされた巨人は反撃に出る。1死一、二塁とチャンスをつくり、バッターは強打のウォーレン・クロマティ。ここで伊東はタイムをかけ、マウンドに内野手を集める。伊東の指示は恐るべきものだった。

 セカンド辻発彦の回想。

「二塁ランナーは上田和明という控え選手でした。"日本シリーズで初めてヒットを打って舞い上がっているはずだから、やりましょう"と言うんです。要するにピックオフプレー(走者を引っかけるプレー)です」

 いつピックオフプレー、つまり牽制を敢行するか。伊東は周到に罠を仕掛けた。