しかし、部長やコーチの「支えるから」という言葉に背中を押され、ようやく決断した。
「じゃあ、つなぐつもりでやるか、と」
監督就任以降、師匠にはことあるごとに注意を受けた。県内のライバル校、霞ヶ浦高と練習試合を組んだときは「負けたらどうすんだ!」と怒鳴られた。
「データも取られますし、負けたら相手に自信を持たせてしまう。だから、木内は絶対に県内チームとは試合を組まなかった。そのときは1勝1敗だったからよかったんですけど、『2つとも負けたら大変なことになってたぞ!』って(笑)」
また佐々木が強豪校と練習試合を組むことに躍起になっているときは「それじゃあ、選手が息を抜けないだろ」と諭された。
「対戦相手も、強い、弱い、中ぐらいって選べば、2番手投手も育つだろ、と。ホームランバッターも、そうやって本塁打数を増やして自信をつけさせなければいけないんですよね」
あくまで控え目な佐々木だが、結果は上々だ。昨夏、今春と、佐々木は2季連続で甲子園に導いた。
「木内野球の印象をうまく利用することができた」
例えば、木内常総の十八番はセーフティースクイズだった。だから、一、三塁の場面などは、やると見せかけて、一塁走者を二塁に走らせた。また木内は教え子が監督を務めるチームにはスクイズを使わなかった。小細工なしで圧勝し、力を見せつけるのだ。
佐々木が言う。
「そのプライドが隙になっていた。でも僕は四番でも平気でスクイズさせる」
もちろん木内流をそのまま踏襲した面もある。投手交代は回の頭ではなく、一死後に告げた。残り二死の方が負担が少ないからだ。
ただし昨夏、甲子園の2回戦で桐光学園の松井と対戦したときは真似できなかった。「いいピッチャーはバントでつぶす」が口癖だった木内なら、おそらくバント攻めをしていたに違いない。だが佐々木はそこまで徹底できず、19三振を奪われ、7-5で敗れた。
「甲子園の大舞台でバントもできねえのかよってなったら選手がかわいそうじゃないですか。でも、この1年、松井君をバントで苦しめたという情報が入ってこない。たぶんバントもできなかったと思いますよ」