『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある』著:岡檀
ある旅の記録─起きなかったことの原因を求めて

 舞台は、徳島県南部の太平洋に面する旧海部町。このありふれた小さな田舎町は、全国でも極めて自殺発生の少ない「自殺〝最〟希少地域」である。地形も気候も産業も人口も、よく似通った町村に囲まれていながら、なぜかこの町の自殺率だけが突出して低い。

 その不思議さに、私は強烈に惹かれた。すぐにも現地調査に飛んでいきたいと心が逸ったが、そこに幾つもの「待った」の声がかかった。

 国の内外を問わず、自殺多発地域の研究には厚い蓄積があるが、自殺希少地域を対象とした研究はほとんど手つかずである。学術の世界では、先人たちが手をつけていない研究テーマは「取扱注意」だと言われていた。そのテーマはとんでもなく難しいか、そもそも手をつけるだけの価値が全く無いか、いずれかだというのである。
さらに何人かは、こうも言った。

「岡さん、昔から言うでしょ。起きたことの原因を探ることはできても、起きなかったことの原因を突き止めることは無理だよ」

 自殺はなぜ発生するのか、その原因の解明に近づくことは可能でも、自殺がなぜ起きないかという、発生してもいないことについて調べるのは不可能だと忠告してくれているのである。

 しかし私の耳は、臨機応変に都合の良い言葉しか受け付けない構造になっているので、その手の忠告は聞かなかったことにして現地へ向かった。失うものとて何も無かったし、なによりも、実際にそこへ行ってみなければ難しいとも何とも言えないではないかと思っていた。

 初めて海部町を訪れたのが二〇〇八年の夏。それから四年をかけてこの町の謎を解明すべく調査を続け、分析結果をまとめたのが本書である。

 自殺希少地域の先行研究がほとんど無いのだから、当然のことながら、確立された方法論も無いに等しい。「なぜ自殺は起きないのか」という問いへの答えを求めて、一体何を調べるのか、どうやって調べるのか、どこから始めればよいのか―、すべてが霧の中での手探りだった。

 それでも、海部町へ足を運べば運ぶほど、この町の自殺率の低さにはなんらかの理由があるという思いが強まり、確信へと変わっていく。当初から、海部町の住民気質とコミュニティの特性が鍵であると感じていた。

 そして、役場の職員がぼそりとつぶやいたひと言、「海部町では、赤い羽根募金が集まらんのです」という言葉を皮切りに、この町の数々のユニークな特性が、連なりあって見えるようになってきた。

 検証を重ねた結果、この海部町において見出した五つの自殺予防因子とは―、

 (一)いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい
 (二)人物本位主義をつらぬく
 (三)どうせ自分なんて、と考えない
 (四)「病」は市(いち)に出せ
 (五)ゆるやかにつながる

 これら自殺予防因子の効用やそれらにまつわるエピソード、住民気質を培った歴史的経緯などについては、「存分に」字数をあたえてもらった本書の中で紹介している。