長谷川幸洋『政治報道を蝕む「中立・客観性信仰」』

〔PHOTO〕gettyimages

政治報道に何を期待しているのか

 前回まで経済に関するニュースやジャーナリズムのあり方を考えてきた。今回から政治を扱っていく。まず問題設定が肝心だ。そこでこれまでと同じように、もっとも基本的な問いから始めたい。それは「人々は政治報道に何を期待しているのか」である。

 新聞には必ず政治欄があり、テレビのニュース番組も政治に関する話題を扱わない日はない、と言っていい。人々は、そもそも政治報道に何を求めているのだろうか。ある人は「権力闘争が面白い」というだろう。別の人は「そんなのはどうでもいい。政治が私たちの暮らしにどう役立っているのか、いないのかを知りたい」というかもしれない。

 たしかに、権力闘争は血沸き肉踊る側面がある。政治が暮らしにどう関わってくるか、は生活者、納税者のもっとも知りたいところだろう。それらは「人々の関心」「興味」だから、それに応えることはメディアの大事な役割である。

 だが、私はここで「人々はメディアに多様な意見や主張、視点を伝えてもらいたいと思っているのだ」と仮定してみる。政治とは、人々にとって選択である。国民は選挙を通じて政権を選ぶ。肝心の選択肢が十分に報じられないことには選びようがない。

 だから「人々は選択する際の参考に多様な意見、視点の紹介を望んでいる、それが政治報道への期待である」。ひとまず、そう考える。そうだとすると、政治報道は報じる側の視野、スペクトラム(幅)の広さが重要になる。人々にとっては、選択肢が十分に示されたほうがいいからだ。

 メディアにとって多様な意見や視点を伝えるのは、権力闘争の真実や暮らしへの影響を伝えることよりも、もっと根源的な意味がある。もしもメディアが野党の主張を伝えなかったら、どんな暗黒社会になるかを考えてみれば、あきらかだろう。多様な報道は文字通り、民主主義の基盤である。

 ただし、これは仮説だ。一見、もっともらしいが、もしかしたら違うかもしれない。この点を少し突き詰めて考えてみる。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら