世界大会開催へ踏み出した大きな一歩 ~第1回全日本車椅子ソフトボール選手権大会~

スポーツコミュニケーションズ

目指すは世界大会開催

 車椅子ソフトボールの魅力のひとつは、障害の有無にかかわらずに楽しむことができるという点だ。今大会、ウォーリアーズとフェローズには健常者が入り混じっており、健常者と障害者の垣根を越え、純粋にスポーツを楽しむ仲間の輪が出来上がっていた。

「僕はとにかく野球が大好きなんです。自分のライフワークですし、僕自身が生きていくためには欠かせないもの。これまで高校や大学の監督をやってきましたが、その時と何ら気持ちは変わっていません。勝ちたいですし、うまくなってほしいし、そして何より楽しんでほしい。それがたまたま車椅子に乗っている人がやっているというだけのこと」

 そう車椅子ソフトボールへの思いを語る大西監督には次なる目標がある。
「せっかく米国とのパイプができたので、お互いに協力し合って競技の普及・発展のために活動していきたいですね。そして最終的にはワールドシリーズあるいはパラリンピック競技につながっていけるようにしたいと思っています」

 この自らの思いを大西監督は、飛島の背番号「24」に託している。
「高校の監督だった時によく『ニシ』って言われていたんです。それで自分とつながりが深い『24』をつけろ、と。飛島にはこの競技の中心選手になってほしいと思っています。自分の技術を磨くだけでなく、車椅子ソフトボール界全体のリーダーシップを取ってほしい。自分の跡を継いでやってくれるような人になってほしいという気持ちを込めて『24』をつけさせました」

車椅子バスケットの選手時代も、野球への気持ちは変わらなかった飛島。車椅子ソフトボール普及・発展への思いは誰よりも強い

 飛島は今、一児の父親でもある。仕事をしながら週に3回ほど、練習を行ない、レベルアップを図っている。以前は仕事で疲れて帰ってくると、練習を休むこともあった飛島だが、子どもが生まれてからはどんなに疲れていても練習に行くようになったという。妻の美貴さんは、そんな飛島の変化の理由を「やっぱり子どもにかっこいいところを見せたいんだと思うんです」と語った。

 そして、こう続けた。
「それと、どんどん人が増えてきたことも大きいと思います。最初の練習は10人もいませんでしたから……。それも車椅子バスケの選手に声をかけて、ようやく集まったという感じで。最初だけは興味をもって集まってくれましたが、なかなかその後が続かなかったり……。今はチームとしてやれていることがモチベーションを上げているんだと思います」

 試合当日、チームメイトの輪を離れてひとり、相手チームの練習を見ている飛島がいた。
「ようやくここまできた、という感じですね。みんな楽しそうにやっていることが嬉しい。天気も良くて2チームだけとは思えないくらい、いい雰囲気ですよね。やっぱり野球はいいなって思いますよ」
 落ち着き払った表情と声とは裏腹に、その目には心の高揚感がはっきりと映し出されていた。

 日本の車椅子ソフトボールは、まだスタートを切ったばかりだが、今回踏み出した一歩は決して小さくはない。現在は全国に3チームだが、野球という文化が深く根付いている国内において、車椅子ソフトボールの将来性は十分にある。今後は認知拡大が、普及・発展のカギを握る。

(斎藤寿子)