世界大会開催へ踏み出した大きな一歩 ~第1回全日本車椅子ソフトボール選手権大会~

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キャッチボールから選手権大会開催へ

嬉しそうな笑顔が印象的だった大西監督。野球への情熱は選手にも負けてはいない

「もう、ワクワクしていますよ」
 6日、第1回大会開催を祝して行なわれたレセプションパーティーで、国内における車椅子ソフトボールの草分け的存在である大西監督は、満面の笑みをこぼしながらこう語った。その表情は、まるで野球少年の様であり、その目は希望に満ち溢れていた。

「5年前、飛島と2人、キャッチボールから始めたんです」
 飛島は、大西監督の北海高校野球部時代の教え子である。その飛島が、交通事故で車椅子生活を余儀なくされたのは14年前だった。
「また野球がしたい」
 そんな飛島の願いをなんとかかなえさせてやりたいと、大西監督は車椅子で野球ができないかと模索し始めた。

 昨年、車椅子ソフトボールが米国で行なわれていることを知った。しかも30年以上も前から全米選手権が行なわれているというのだ。早速、視察に訪れようとしたところ、当時日本人としてただひとり米国チームに所属していた堀江を通じて、急遽日本代表として大会に出場することが決まった。実は飛島と堀江は元車椅子バスケットボールプレーヤーで、親しい間柄だった。そんな縁もあって、話はとんとん拍子に進んだ。

 この全米選手権出場が転機となり、日本でも車椅子ソフトボールを普及させようという動きが活発となる。今年4月には一般社団法人日本車椅子ソフトボール協会を設立。その3カ月後には第1回全日本選手権大会が行なわれる運びとなった。
「とにかく一番必要なのは、スピードだと思いました。スピード感をもってどんどんやっていかないと、広まらないと思って急いでやったんです。たくさんの人のおかげで、今日という日を迎えることができた。本当に嬉しい」
 訪れたチャンスを逃すまいと奔走した日々を思い出していたのだろう、大西監督はそうしみじみと語った。

 一方、日米の懸け橋となった堀江もまた、感慨深そうにこう語った。
「米国に行って、ルームメイトに勧められたのがソフトボールをやるきっかけだったのですが、そのルームメイトからは『日本でも広めてほしい』とずっと言われていたんです。でも、その時は本当にこういうふうになるとは思ってもいなかったので、本当にビックリしています」