主将・廣瀬俊朗(北野高→慶大理工→ラグビー日本代表)「オトコが惚れる人間力」

フライデー
グラウンドの外では、カラオケで音痴な歌を披露するなど、「イジられキャラ」になることも多いという

「人間的にまっすぐで、やれと言われたことはすべてやっていました。当時、彼はラグビーの大阪府選抜で、練習時間も長かったので、3時間睡眠でがんばっているといっていた。僕が『もう少し寝ろ』といっても、『大丈夫です。最後までこれで行きます』っていうんです。

 人格的にも立派。中学同士のもめごとなんかがあると、『オレちょっと行ってくる』と単身敵地に乗り込んで、ものの数分で話をまとめてくるんです」(中学時代の塾講師・北村慶太郎氏)

 北野高校在学時には高校日本代表に選出されつつ、学業でも優秀な成績を残し、慶大理工学部に推薦合格。そこでもU―19の代表として活躍した。慶大ラグビー部の先輩で元日本代表の、野澤武史氏は、「彼はキツいことから逃げない。チームが劣勢でも相手に流れを渡さない強さがあった」という。慶大時代にコーチを務めた、東北楽天ゴールデンイーグルス社長・立花陽三氏が当時を語る。

「飲み込みが早く頭がいい。誰よりも早くから練習を始めて、誰よりも遅く終わる。明らかにほかの選手とは目つきや態度が違いました。

 頭の良さと、練習への真摯な態度に、私が一方的に惚れ込んで、彼の就職活動中には、当時私が勤めていたゴールドマン・サックスに誘ったこともありました」

 ゴールドマンに入れば、少なくとも数千万円の年収を得るエリートの道が約束されていた。だが、本人は、「もう少しラグビーがしたい」と東芝に進む。その後、日本代表にも選ばれ、順風満帆なラグビー人生に見えた。

 ところが、 '07年に事件が起きる。マスコミ、本人ともに考えもしなかったまさかの代表メンバー落ち。当時の思いについて本人に直撃すると、

「あのときは少しおごりがあったのかもしれません。周囲も『選出は間違いない』というので、百パーセントの体調で準備をしていなかった。そういう弱さを監督は見抜いていたんだと思います」

 という。この経験が廣瀬を奮起させた。

「一度挫折を味わってから、東芝でキャプテンをやらせてもらって、以前よりリーダーとしての覚悟が決まりました」