二宮清純レポート 楽天・捕手嶋基宏 野球センスは平凡それでもトップになれる

週刊現代 プロフィール

 当時の監督・大藤敏行が嶋を初めて見たのは、彼が中学3年の時だった。

「ウチの学校では能力的にはやっていけない」

 それが第一印象だった。

「中学の成績も良くて、岐阜県内のトップクラスの進学校に入れるほどでした。本人がどうしてもウチで野球をやりたいというので受験して入ってきたのですが、技術的に光るものはありませんでした」

 嶋が突然、「マネジャーになります」と切り出したのは新チームとなった高校2年の夏だった。それまでベンチ入りもできなかったため、選手としての限界を感じていたようだ。

「ウチは1学年二十数人の少数精鋭なので、故障者が出れば試合に出られるチャンスがある。それで"せっかく野球をやるためにウチに入ったんだから、夏休みだけでも選手としてやってみろ!"と言って本人を引き留めたんです。もし、僕があそこで"じゃあ、マネジャーを頼んだぞ"と言っていたら、今の彼はないでしょうね」

 選手として「光るものはなかった」嶋だが、大藤によれば「努力する才能」は人一倍だった。

「彼は岐阜の実家から2時間近くかけて通学していたのに、練習は一番遅くまでやっていた。8時半に全体練習が終わっても、9時半くらいまでひとり黙々とトレーニングしていた姿が印象に残っています」

 大藤は嶋から大学1年の冬に届いた手紙を、今でも大切に保管している。嶋の人間性をしのばせる、こんなくだりがある。

〈誰にでもできる挨拶、返事、掃除、気配りを誰にもできないくらいやろうと意識してやっています〉

 目を細めて大藤は言う。

「この"やり切る"姿勢が彼をプロの選手にし、成功へと導いているのではないでしょうか」

記憶力には自信がある

 高校時代、プロを意識したことは一度もなかった。國學院大に進んだのは「日本史の先生になるため」だった。歴史好きで記憶力にも自信があった。だが、ひとりの指導者との出会いが嶋の運命を変える。

 東北高、仙台育英高を計27回も甲子園出場に導き、'96年から國學院大の監督を務めていた竹田利秋が、その人である。

 動きを一目見て内野手では厳しいと判断した竹田はキャッチャーへのコンバートを試みる。決め手は「人間性」だった。