取材・文/森 省歩
―加藤さんは「神武以来の天才」と呼ばれた棋士です。本書には「天才が天才を語る」とのキャッチコピーがつけられていますが、将棋界における「天才」とはどのような存在なのでしょうか。そして、なぜ「羽生善治論」なのでしょうか。
私は自分のことを自分で「天才」などと言ったことはないんですが、将棋界の偉人である故・大山康晴15世名人が、自著の中で「加藤一二三は大天才である」と書いてくださったんです。将棋界には「大天才」と「天才」と「小天才」がいるということらしいんですが、あの大山先生が大天才と認めてくださったのだから、「天才論」を書いてもいいのではないかと、こう思ったんです(笑)。
ではなぜ「羽生論」なのかというと、羽生さんはタイトル獲得数を見ても、歴代単独1位の通算83期に及ぶなど、まさに「覇者」というべき存在です。私はこれまでに現役棋士として最多の1300勝超をあげているんですが、羽生さんはあの若さですでに1200勝を超えている。私の記録が抜かれるのも時間の問題です。
対戦成績で羽生さんと互角に戦っているのは森内俊之名人くらいのものですが、年間の勝利数で見ると、羽生さんが30勝も40勝もしているのに、森内さんは20勝くらいしかしていない。
その意味では唯一無二の存在といっても過言ではない。ただ、ひと口に天才といっても将棋界における「天才」には、2通りのタイプがある。今回はそれを書きたかったんですよ。