二宮清純レポート 横浜DeNA・内野手中村紀洋
嫌われても、笑われても自分の道を歩いてきた

週刊現代 プロフィール

 塁上での落合との禅問答が中村の打撃に深みを持たせた。'98年、ホームランを初の30本台(32本)に乗せ、'00年には39本塁打、110打点で二冠を獲得。翌'01年は打率3割2分、46本塁打、132打点というキャリアハイの成績でチームを12年ぶりのリーグ優勝に導いた。代名詞の噦いてまえ打線器は球界を席巻した。

 中村は'00年のシドニー五輪にも出場している。日本代表は初めてプロアマ混合チームとして出場したがメダル獲得はならなかった。

 主砲としての責任を感じた中村は人目もはばからず号泣した。代表監督だった大田垣耕造は、今もそのシーンが忘れられない。

「それだけ真剣に戦ってくれたってことですよ。実は中村については、最初噦目立ちたがり屋じゃないか器という声もありました。なにしろ髪を金色に染めていてイメージが良くなかった。

 それで噦なぜ、金髪なんだ?器と本人に直接、聞いたんです。すると噦近鉄のようなパ・リーグのローカルチームは、あまりメディアが話題にしてくれない。こうでもすれば、少しは取り上げてくれると思ってやっているんです器と。そこまでチームやリーグのことを考えているのかと感心したことを覚えています」

 2000本安打を達成した選手で5球団を渡り歩いたのは、中村の他には加藤英司がいるだけだ。メジャーリーグを含めて6球団となると、彼の他には誰もいない。

 自由契約という名の解雇もオリックス、東北楽天で2度、経験している。鶴田浩二主演の映画のタイトルではないが「傷だらけの人生」だ。

「ヤツは意気に感じて野球をやるタイプだね」

 そう語るのは中日時代のコーチ森繁和だ。

「噦給料下がるけど、一からやる気はあるのか?器と聞いたら噦カネじゃありません器と言ったね。その気にさせれば力を発揮するタイプ。彼の頑固な性格について、いろいろ言う人はいたけど、我々からすれば使いやすいタイプでした」

あの剛速球をもう一度

 あまり知られていないが、中村には研究者肌の一面もある。これまで対戦したピッチャーの球種に始まり、配球の傾向、フォームの特徴、変化球を投げる際のクセなどを書き込んだメモをファイルに入れて持ち歩いているのだ。

 中村の代名詞と言えばフルスイングだが、イチかバチかで長尺のバットを振り回しているわけではない。確固とした根拠があるから、迷いなくバットを振り切れるのだ。

 過去に対戦した好敵手にも話を聞いた。まずはロッテなどで活躍した清水直行。