二宮清純レポート 横浜DeNA・内野手中村紀洋
嫌われても、笑われても自分の道を歩いてきた

週刊現代 プロフィール

「ここは1年目にやったんです。でも病院には行かなかった。痛いのかゆいの言ってたら噦オマエなんかいらん!器と一喝されるのがオチですよ。だからテープでガッと締め上げて、何もなかったように練習していた。当時はそんな時代ですよ」

 叩き上げの男にも憧れのスラッガーはいた。三冠王3度の落合博満である。'97年、落合は巨人から日本ハムに移籍した。

 中村はレギュラーの座こそ獲得していたものの、まだ打撃タイトルには無縁だった。知り合いのテレビ局員を通じて落合のビデオを取り寄せ、自らのフォームに重ね合わせた。

心の師は落合博満

 落合が11年ぶりにパ・リーグに戻ってきたからといって、もちろん対等に話せるような関係ではない。一計を案じた中村は甘い球にも手を出さず、四球で一塁に歩くことにした。ランナーで出て一塁手の落合に、こっそり話しかけるのだ。

 ある日のことだ。1打席目、四球で出塁するなり、恐る恐る中村は切り出した。

「あのぉ、バッティング教えてもらえませんか?」

「何が聞きたいんだ?」

「……次の打席、また来ます」

 2打席目も四球。

「僕のフォーム、見ていただけましたか?」

「遅い!」

「…………」

 3打席目も四球。

「何が遅いんでしょうか? タイミングですか、ヘッドスピードですか、それとも始動ですか……」

「だから、遅いんだ!」

 もはや、禅問答の世界である。結局、何が遅かったのか。

「落合さんが引退された後、日向のキャンプに来られたんです。僕のバッティングをケージの後ろから見ていて噦まだ遅いぞ器と言うんです。落合さんが言うには噦オレは構えに入った時点で90%以上は後ろの右足に体重をかけていた器と。要するにピッチャーのモーションに合わせて体重を移動させていたのでは遅いという意味だったんです」