二宮清純レポート 横浜DeNA・内野手中村紀洋
嫌われても、笑われても自分の道を歩いてきた

週刊現代 プロフィール

 やられたら、やり返す。転んでもただでは起きない。中村の野球人生の縮図のようなエピソードだ。

 '91年の秋、ドラフト4位で近鉄の指名を受け、入団した。ポジションはピッチャーだったが、球団は金村義明の後釜としてサードで育てる方針だった。

 記憶をたぐるように金村は語る。

「実は僕、彼を高校時代から知っているんです。たまたまテレビで試合を観ていたら、バックスクリーンに打ち込んだ。噦公立高にすごいのがおるなぁ器。それが最初に抱いた印象です。

 そんな子が、まさかウチに入ってくるとは思わんかった。担当したスカウトが同じ河西俊雄さんということもあって、すぐに挨拶に来ましたよ。噦河西さんには『金村の練習は真似しても、夜の行動だけは真似するな』と言われてます器って。それは当たっとった(笑)。

 キャンプで練習を見たら、肩は強いし、守備もうまい。僕も子供がおったし、負けたくなかったんやけど、噦これはすぐに抜かれるな……器と、どこかで覚悟した部分もありましたね」

 将来の主砲に—。中村の資質を見抜いたのが打撃コーチの水谷実雄(現阪神コーチ)である。広島で江藤智(現巨人コーチ)や前田智徳らを育て上げた名コーチの噦白熱指導器は鬼気迫るものがあった。

 当時、バッテリーコーチの任にあった梨田昌孝の証言。

「ナイター前の早出特打ちは、ほぼ毎日。水谷さんは1時間から1時間半、マシンで打たせた後、裸足でも打たせていました。

(本拠地の)藤井寺のグラウンドは暑いというより熱いんです。夏は40℃ぐらいになる。水谷さんにしてみれば、足の裏でガッと土を摑む感覚を覚えさせたかったんでしょうね。ノリはベソかきながらやっていましたよ」

 文字どおり、鉄は熱いうちに打て、ということか。

 本人の回想。

「とにかく入団してから3年目くらいまでは、ほとんど守備の練習はしなかった。バッティングばかり。日向キャンプでは手の皮がペロッとむけました。キャンプも半ばくらいになると、バットを離すのが嫌になる。一度離すと、また触る時に飛び上がるほど痛いんです。だからバットを握ったまま寝ていましたよ」

 中村の右太ももには、今でも大きなくぼみがある。ボコッと、その部分だけへこんでいるのだ。聞けば肉離れの跡だという。