特別レポート サラリーマン、置かれた場所で咲きなさい 思い通りにならない会社人生だから面白い

週刊現代 プロフィール

 元雪印乳業社員で、現在は相模屋食料の社長を務める鳥越淳司氏(39歳)が振り返る。

「忘れもしません。雪印の食中毒事件が発覚したのは'00年6月26日。私は7月1日に群馬支店から福島支店へ異動したんですが、転勤初日に上司から『挨拶はいい。大阪へ行ってお詫びの部隊に加わってくれ』と指示されました。

 大阪では驚きの連続でした。全国から集められた社員の前で、事故対応の担当者が言ったんです。

『お客様リストは手元にありますね? では説明します。一に謝罪、二に謝罪、三に謝罪、四に謝罪、五に謝罪です』

 逆に言うと、それ以外、対応マニュアルがない。これは大変なことになっていると思いました」

会社とは何だ、人生とは何だ

 お詫び行脚の日々が始まってすぐ、鳥越氏は気づいたことがあった。

「私には実感がなかったんです。事件現場から遠い群馬の営業担当で、『自分のミスではない』という思いもあり、頭ではお詫びしなければと思っていても、腹にまで落ちていなかった。

 しかしお詫びをしていくうちに、『いままで自分はなんと無責任だったのか』と気づいた。牛乳の製造現場のことをほとんど知らなかったんです。工場でどんな体制で製造して、どんな仕組みで殺菌消毒されるのか、研修程度の知識だけで、お客様に乳製品を販売していた。次第に、この事態は私と、私が所属する企業の体質が起こしたものだと腑に落ちました。責任の所在を自分に求めたのです」

 多い日には一日13軒を土下座して回った。罵声を浴びることもあった。

「私はそれを理不尽だとは思わなかった。本当に自分が悪かったと反省し、心からお詫びをしていました。それがお客様に伝わったのかもしれません。『兄ちゃん、頭上げて。これから頑張ってくれたらええから』と言われ、涙が出そうになったこともありました」

 鳥越氏のこの経験は、妻の実家の豆腐メーカーである相模屋食料に入社してからも活きた。

「現場で土下座をして、食品を扱う危機感を植えつけられたことが大きかった。身を切ってお詫びをした人間でなければわからない何かは確実にあります。

 誰だって、よくないことが起きたら『私のせいではない』と思いたい。しかし、責任の所在は、最終的には私にある。あの日以来、私の中でその感覚は身にしみており、いまの仕事にも大いに役立っています」

 出向、転籍、降格、そして不祥事。それぞれの困難を乗り越えた彼らが口を揃えて言うのは、あのとき泣いた経験によって人間が磨かれたということだ。

 会社人生は何が起きるかわからない。しかし、だからこそ面白いのだ。

「週刊現代」2013年6月15日号より