特別レポート サラリーマン、置かれた場所で咲きなさい 思い通りにならない会社人生だから面白い

週刊現代 プロフィール

 亀山氏の他にも、逆境から這い上がって社長になったサラリーマンは意外と多い。4度の左遷を経験した東レインターナショナル元社長の田中健一氏(73歳)が、会社人生を振り返りこう語る。

「最初の左遷は'73年、東レに入社して11年目かな。当時花形だった輸出部に在籍していて、ニューヨーク駐在から大阪本社に帰ってきたときだった。課長職を目前して上司の不興を買い、東京の海外事業部に飛ばされた。飛ばした本人が『飛ばした』と話していたので勘違いではないでしょう。

 単身赴任した東京では、仕事らしい仕事もなく、完全にふて腐れました。不思議なもので、類は友を呼ぶ。終業時間になると、似たような境遇の人間が集まって、飲みに出かけるようになる。話題は愚痴と上司批判です。毎晩、安酒をかっくらって、体調を崩す者までいた。私はだんだん怖くなり、彼らとは付き合わないようになった。左遷を本当の左遷にするのは自分なんだな、と痛感しました。

 しかし、遅かった。2度目の左遷です。行き先はマレーシアのペナンにある工場。当時のペナンは信号が一つもなく、中国人の反日騒動もあった。いわば流刑地です。『ここで死ね』という宣告に近かった。仕事も部下もなく、毎日途方にくれた。しかし、腐ってはいけないと最初の左遷で思い知ったので、何とかあがいて現地の責任者と親しくなり、業務改善に成功した」

 その手腕が評価されて本社復帰。ゆくゆくの中核商品となる炭素繊維の事業部長を任された。役員は確実、社長も夢ではなかった。

落ち込むのは仕方ない

「ところが、です。炭素繊維の対米政策をめぐって、当時の社長だった前田(勝之助)さんの逆鱗にふれてまた飛ばされた。行き先は小さな系列商社でした。常務という肩書でしたが、実質的には一兵卒のようなもの。このときは堪えましたね。ペナンの比ではなかった。悔しくて1年くらいは眠ることができなかった。妻を心配させないために寝たふりをしたものです」

 ここでも結果を出し、常務から社長に昇進した。しかし、「蝶理」という東レの出資会社の社長をやれという、またも有無をいわさぬ宣告が前田氏から下る。

「当時の「蝶理」は放漫経営の結果、30年間赤字のオンボロ商社です。カリスマ会長となった前田さんが誰を指名しても、明らかな汚れ役ですから、皆、逃げてしまう。結局適任がおらず、前田会長は渋々僕にやらせた。会長からは1000億円の借金を1年で400億円に減らせという無理難題を課されました。ここでは、僕の天邪鬼な性格が良い方向に働いた。『やったろうやないか』とがむしゃらに取り組んだ結果、1年で借金ゼロの優良企業に生まれ変わりました。

 僕の経験から言えるのは、左遷されて落ち込むのは当たり前。むしろ、とことんしょげるべきです。悪いときはすり鉢の底に向かって駆け降りる。すると、勢いでそのまま上がっていくものです。飛ばされることよりも気力を失うことのほうがはるかに怖い」