脱グローバル論 日本の未来のつくりかた
第1回 グローバル社会VS. 国民国家のゆくえ その3

内田樹 中島岳志 平松邦夫 イケダハヤト 小田嶋隆 高木新平 平川克美

ソーシャル時代の、ほんとうのITリテラシーとは

平松 意外とツイッターのつぶやき回数というか使用頻度の少ないのが、一番若い中島さんだと思うんですけれども。

中島 僕は札幌のラジオ局で番組をやってまして、その局の人に言われてやり始めたんですけど、1ヵ月目ですっかり飽きてしまって。それからもう1年半ぐらい経っていて、でもたまに、瞬発的に何かを述べなきゃいけないと思った時には活用してるんですけども……。なんて言うかな、ツイッターって速すぎるんですよ。

 どういうことかと言うと、月刊誌というものがどんどんなくなってきましたよね。『論座』にしても『諸君!』にしても。われわれはもうほとんど月刊誌を読まなくなっています。しかし最近の話で言うと、数ヵ月たってから、生活保護の問題─あの河本(準一)さんの問題が論じられているんですよね。あるいは、観光バスが大きな事故を起こした問題とか。つまり、事件が起きてからだいたい2ヵ月ぐらい経って、ようやくまとまった論が載るわけです。それが、ツイッター社会になると、(1つのニュースや話題が)あっという間に祭りのようにカーニバル化して、一瞬で沸騰して一瞬で忘れられて、その後はもうその話題は全然共有されなくなる。このツイッターの時間感覚、スピードというものと、言論のあり方を、どういう軸で位置づければいいのかというのが、いつも悩むところです。そうした時に、僕はもう少し耐久性のあるものを書くために、まだ活字を信用していたいと思う。しかし、瞬発的に何か発信するべき時はツイッターを使う。そういう使い分けですね、僕は。

内田 僕の場合、ツイッターは愚痴で、ブログは演説なんです。今おっしゃった月刊誌の話ね。このあいだ、沖縄と橋下維新の特集で2号続けて『世界』を買ったんだけど、久しぶりに読んだら面白かった。読みでがある。月刊誌って、やっぱりネタが古いんです。でも、その分だけ、最初に報道されてからだいぶ時間が経過して、周辺情報も整って、気持ちも落ち着いた頃に改めて読むことになるので、話がよく見えるということがありますね。それに月刊誌って、わりと射程の長い話をするんです。『世界』って、とっくの昔にダメになっただろうと思ってたんですけどね、久しぶりに手に取って、感心しました。悪口ばかり書いてきてごめんなさいね(笑)。

小田嶋 週刊誌の劣化と比べると、月刊誌の方が面白いですよね。なんか、もう週刊誌はどうしようもない感じ。

平松 さて、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしながらの話なんですけども、ただ私、ずっとお話をうかがっていて思うのは、やっぱり「気付いてる人」の輪をどれだけ広げられるかということかなあ、と。単にデモの人数とか、そういうものでは測れない、いろんなツールが今はあるわけで、そこに参加したり、それを使って何かを発信したりしている人をリアルに結びつけるような方法というのはないんですかね。