第36回 是川銀蔵(その二)関東大震災に昭和金融恐慌---大事件をバネに「兜町の風雲児」へ

福田 和也

 昭和十年、銀蔵は三品相場で派手な仕手戦を繰り広げた。

片岡直温 第1次若槻禮次郎内閣で大蔵大臣をつとめた片岡は「東京渡辺銀行が破綻」と失言、金融恐慌の引き金となった

 綿糸、綿花、綿布の商品先物取引所があり、銀蔵は、その大舞台で、勝負を挑んだのである。

 当時、大阪で有数のビルだった堂島ビルの近くに事務所を構えていたので、堂島将軍と呼ばれていた。

 買い方の銀蔵に対して、売り方にまわったのが、昭和綿花の駒村資平である。

 二人の一騎打ちは、数ヵ月にわたった。

 結局、国際価格の上昇で、相場は急騰した。

 駒村は資金が続かず、銀蔵に「解け合い」を申しいれた。

「解け合い」は、暴騰、もしくは暴落で決済が不能になった際、売買の差額を決済することである。

 銀蔵は、断った。

 あと、もう一歩で駒村を屈服させられる。

 ところが、駒村の申し入れを断った、その翌日から、ニューヨークの綿相場が下がりはじめたのである。

 この仕手戦で、銀蔵は、当時の金で一万円以上の損を蒙った。

「もしも解け合いに応じていれば、三百万はもってこられただろうに・・・・・・」

 仲間は嘆息したが、あとの祭である。

 銀蔵は、数年間、証券業界から離れた。

 陸軍の小磯国昭朝鮮総督や関東軍の武藤章中将の知遇を得て、是川製鉄株式会社を設立した。国策会社に資金供給する政府機関、産業設備営団から約三千万円を借り入れ、終戦直前には、従業員一万人を擁する製鉄会社となった。

 しかし終戦で全ては終わった。

 昭和二十一年、銀蔵は着の身着のまま、本土に引き揚げた。