第36回 是川銀蔵(その二)関東大震災に昭和金融恐慌---大事件をバネに「兜町の風雲児」へ

福田 和也

 片岡は高知の人。内務省御用係を振り出しに、工部省御用係、滋賀県県警本部長を務め、日本生命保険の社長になった。官僚として内務畑を歩いてきた人物で、明治二十五年に衆議院議員、大正十三年に内務政務次官をへて、商工大臣、大蔵大臣を歴任している。

 渡辺銀行は、市中のさほど大きくない金融機関だったが、全国で取り付け騒ぎが拡がったために金融機関は、大きな影響を受けざるを得なかった。

 銀行は取り付けの収拾につとめたが、当時、大商社だった鈴木商店と、資金を提供していた台湾銀行が資金繰りに失敗したため、金融恐慌に発展してしまったのである。

 銀蔵が経営していた亜鉛メッキ会社も倒産してしまった。

 銀蔵は考えた。

この経済パニックは、マルクス、レーニンが説いている資本主義崩壊現象の第一歩ではないか」(同上)

 それから三年間、毎日、大阪中之島の図書館に通って、独学で世界経済の分析に取り組んだ。

 その結果、銀蔵は、資本主義は崩壊せずとの確信を得た。

 株式の価格変動を注視していれば、稼げる。社員も事務員もいらない。電話一本あれば、儲けられる。

 かくして昭和のデイトレーダーとして是川銀蔵が誕生したのである。

もう一歩というところで相場が下がりはじめた

 銀蔵は、旧知の金田辰藤商店の支配人を訪ねて、保証金を値切った末に、新東株を手に入れた。

 目論見は図にあたった。

 七十円の元手が、七千円になったのである。

 以後、銀蔵は、兜町の風雲児として、誰知らぬものはない存在となった。