長谷川幸洋「なぜ日本の新聞は「税制構造改革」に熱心なのか」

いまだに大本営発表から抜け出せない

前回は「終わりなきデフレについて、メディアも日銀と共犯関係にあった」という話を書いた。多くのメディアは日銀の誤った言い分を疑いもせず、そのまま垂れ流してきた。もしもメディアが世界の標準的な政策理解に基づいて、日銀の金融政策を客観的に評価し報じていれば、もっと早く政策の誤りを正せたかもしれない。

 内閣官房参与になった浜田宏一イェール大学名誉教授も言ったように、かのクルーグマンやバーナンキ(現・米連邦準備制度理事会議長)といった世界の一流学者たちは、日銀流理論と政策のおかしさを10年以上も前からずっと指摘していたのだ。

 だが、結果的には安倍晋三政権が登場するまで、日銀は大胆な金融緩和に踏み切れなかった。2%の物価安定目標政策も採用できなかった。メディアの報道はあまりに日銀寄りに偏っていて、永田町でも自民党の中川秀直衆院議員や山本幸三衆院議員ら一部を除いて日銀への批判は高まらなかった。

 むしろ逆に、永田町から日銀批判が出ると、多くのメディアが判で押したように「政治介入だ」とか「日銀の独立性を侵害する」とステレオタイプの日銀擁護に回った。金融政策の軌道修正が遅れた背景には「日銀は聖域にして侵すべからず」というようなメディアの日銀信仰があったのである。

 これは先の戦争で新聞が大本営発表報道を続けた結果、国民に戦争の実態を見誤らせた構造と基本的にまったく同じである。日本の経済ジャーナリズムは、いまだに大本営発表報道から抜け出せていない。

 今回は金融政策だけでなく、財政政策をめぐる報道について書きたい。結論を先に言えば、財務省の言い分をそのまま垂れ流す構造は日銀の場合とまったく同じである。それは記者の発想と行動原理が、日銀を取材する場合でも財務省を取材する場合でも同じであるからだ。

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