このような場合、もっともらくなのは、わたしの体験した天上的な幸福の「わけ」をさぐるのをやめて、「現代詩を読むことはこのようにあなたの役にたちます」という文章を書くことだ。
「役にたつ」は、ほかのなによりも通りのよい価値であるから、流通の経路が確保されている。現在ならば「いやされる」かまたは「励まされる」が一番人気の売り文句なのだろう。「この詩を読めば、あなたのこころはこのように励まされ、元気になれます」と言えば、まちがいなく多くの人がふりかえってくれる。
しかしそれはきわめて安っぽいやりかたであり、わたしのあのときの無上の感動を「売る」行為である。
わたしは、わたしの発見したすばらしい詩人たちや詩篇を、売りたくはない。かれらのほんとうの価値を知った者としては、たとえば霊の見える人とおなじく、黙して語らないのが最上の対処だと思う。自分に見えた「この世ならぬもの」についてぺらぺらしゃべるのはにせものだ。
このような気持ちとたたかいながら、それでもわたしは書くことにした。安っぽい文章は書きたくなかったので、道なき道を行くことになった。けっして到達できないと知っているものの周囲をはてしなく旋回しながら、それでもときどきは肉薄したと思える瞬間があった。それだけで幸福だと感じた。
書き終えた一冊の本は、わたしの手をはなれて、知らない誰かのもとへ行く。講談社現代新書『今を生きるための現代詩』。詩は、むずかしいとかやさしいとかで見るべきものではなく、わかるわからないで語るべきものでもない。そういうことを書いた。
書き終えたからといって、なにが変わるわけでもない。なにごともなかったように人生はつづき、詩もつづく。
わたしのなかで終わらずにつづいている、谷川俊太郎、黒田喜夫、入沢康夫、安東次男、川田絢音、井坂洋子の詩。そのきらめき、かがやかしさが、どこかの誰かにあの金色の光を見せたらいいと、いまそれだけを願っている。
(わたなべ・としこ 詩人)