GW合併号特別企画 第3部 人生いろいろ、秀才もいろいろ行方不明になったやつもいる無職でブラブラしているやつもいる 開成、灘、筑駒 卒業30年後の「神童」たち

週刊現代 プロフィール

 早速その翌日からスコップを振り始めた野田氏は、とびや土工に必要な資格をひと通りとって、あっという間に若い衆を従える親方になった。だがバブル崩壊を機に経営が悪化。給料が払えなくなる前に店じまいをした。29歳のときだった。

「その頃にはもう結婚して、子どもも2人いたんですが、高卒の30男なんて、雇ってくれるところはそうない。トラックの運転手をして食いつなぎながら、一念発起、弁護士になろう、と決断しました。でも調べたら大卒が条件だった。そのときはじめて大学行っとけばよかった、と思いましたよ(笑)。他の国家資格もほとんどそうで、高卒で取れるのは税理士くらいでした」

 そして会計事務所で働きながら、勉強を開始。税理士資格を5年かけて取得。39歳で事務所を開いた。今では10名以上の従業員を抱える一国一城の主だ。

「最近フェイスブックを始めて、高校を卒業して以来はじめて、同級生と連絡をとりました。それまで私は完全に行方不明者扱いだったみたいです(笑)。ドロップアウトはしてしまいましたけど、筑駒は意外と好きなんです。

 でも遺伝ってあるんだな、と思いますよ。最近長女が高校を中退しちゃって(笑)。結構な進学校だったんですけど、中卒です。自分が親を裏切ってきた手前、好きに生きてくれればいいと思ってるんですけどね」

 灘高を30年前に卒業した藤本博之氏は、一浪で早稲田という、前章で言うところの「落ちこぼれ組」。彼は大学卒業後、当時はまだ怪しさの漂うゲーム業界に飛び込んだ。

「スティーブ・ジョブズがまだガレージで作っていた時代の『アップル2』を、中学生の時に親にねだって買ってもらい、オリジナルゲームをプログラミングしたりしていました。ちょうどインベーダゲームが大流行した時代ですね。高校時代は大阪・梅田のゲーム喫茶に入り浸りでした」

 就職活動でゲーム業界を回ると「早稲田の学生がなんでウチ?」と行く先々で言われた。親に猛反対されながらナムコ(現バンダイナムコゲームス)に就職。2年で辞めて仲間とゲーム会社を起業し、30代半ばで独立、社長となった。

「自分は灘での6年間、本当に自由に過ごし、それが人生の進路にも影響した。だから、灘校生には医者や弁護士ばかりでなく、もっと多様な道に進んでほしいと思います。正直、現状はもったいない。せっかく優秀なんだから、もっといろんな場所で、世の中に貢献できると思うんです」

 開成、灘、筑駒に共通しているのが、あまり「カネ儲け」を人生の美徳と考えていないことだ。そのなかで、筑駒OBできずなキャピタルパートナーズCIOの田中健二氏(46歳)は異色の存在だ。

「おカネのためよりも世のために、という筑駒からすると、投資の世界に身を置く私は、キワモノ的な存在です。私からすると、もう少し儲けることに知恵を使うことも必要なんじゃないの、と思うんです。