2013.05.31
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GW合併号特別企画 第2部 いつもどこかで競ってしまうテストの点数だけで人間を判断する「悲しい性」 開成、灘、筑駒 卒業30年後の「神童」たち

週刊現代 プロフィール

「灘卒の医者でも被災地に志願して赴任したり、志のある人はいます。でも母数が多い分、『テストが得意なだけ』の医者が多いことも、残念ながら事実ですね」

人を喜ばすことができない

 家業の化学メーカー、日本セロンパックを継いだ筑駒OB、田中司氏(45歳)は、傍目には人並み以上の成功を手に入れながら、今も筑駒時代の「敗北感」を胸に抱き続けている。

「筑駒での6年間は、私にとって苦い思い出です。小学生の頃は『神童』とは言わないまでも、それなりに優秀なほうだと思っていましたが、筑駒ではいかに自分が凡人であるか思い知らされた。能力だけじゃなく、生まれや育ちも全然違う。劣等感に苛まれ続ける6年間でした」

 こんなことを話す田中氏だが、経歴を聞けば一浪ながら東大文学部へ進学している。卒業後は総合商社の丸紅に入社し、どうみても完全なエリート街道を進んでいるように思える。

 それでも田中氏は「私は完全に落ちこぼれでした」と断じ、それを理由に「多くを望まなくなった」という。

 その理由は、開成よりさらに特殊な筑駒の学歴基準にある。ある筑駒OBによれば、東大文系のなかに、さらに細かいこんなヒエラルキーが存在するのだ。法学部が最高。経済学部はすでにちょっとした落ちこぼれ。文学部なんて東大じゃない—。

 だから田中氏は自身を「落ちこぼれ」と呼ぶ。

「商社に入ってみて、自分には向いていないことに気がつきました。筑駒もそうでしたが、利発で社交的なタイプが多く、僕のような屈折した人間はいなかった。どうにも馴染めず、3年で退社し、家業を継ぐことを決めました。

 いまでは筑駒時代の横のつながりもほとんどない。中小企業の子弟が多いという、立教大や成蹊大に行けば良かった、と思うこともあります。私のような凡人が身の丈に合わない学校に入ると、人格形成に悪影響を与える」

 開成OBの市場聡一郎氏(38歳)はそうした進学校的競争から距離を置いた一人だ。

 開成から慶応大学環境情報学部に現役で合格したが、前述のように開成では「価値のない学歴」。母にまで、「あなたが開成だと知っている人には、恥ずかしくて大学名言えないわ」とことあるごとに嘆かれたという。

「いま思えばどうでもいいことなのですが、当時は真剣に悩みました。両親には小学校の頃から『東大に行け』と言われていたので、期待を裏切ったかたちになってしまったのですね」

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