特別企画 あの世紀の結婚から、6月9日で20年

あの笑顔が再び戻ることを
週刊現代 プロフィール

強烈な不信感が芽生えた

 雅子妃は、そうしたプレッシャーの中で'99年に懐妊するものの、流産。産婦人科医の宋美玄氏が言う。

「妊娠初期は流産の危険性があり、安定期に入るまでは発表は控えていた。ところが雅子さまの場合、その前に朝日新聞のスクープで報じられてしまった。そして、『妊娠おめでとう』と言われている矢先、稽留流産しました。単に流産だけでも悲しいのに、その辛さは並大抵のものではなかったでしょう。一般の女性でも、職場などで妊娠がわかった後で流産になると、周りが慰めようもない。雅子さまには全国民の目が集まっていただけに、心労は尋常ではなかったはずです」

 また、妊娠の事実が記者に漏れたことで、雅子妃は宮内庁、東宮に強烈な不信感を抱くようになる。天皇の学友でジャーナリストの橋本明氏が明かす。

「雅子妃が流産した際、これは情報漏洩だ、東宮職の中に敵がいると信じ込んだ節がある。自分をわかってくれないと取り巻きの官僚たちに背を向け、不信をあらわにした。そして、一切のコミュニケーションを絶ってしまったのです」

 流産を経験し、失意に沈む雅子妃に追い打ちをかけるように、「この結婚は失敗だった」と公然と発言する皇室関係者が現れ始める。その一人、雅子妃に批判的な旧華族夫人Bさんは言う。

「雅子さまには、大使を歴任なさった父親の外交官体質が染みついているのでしょう。だからプライドが高く、何事も自分が正しいと思っていらっしゃる。流産も、結局周りのせいになさるし……ご結婚はそもそも無理だったんですよ」

 このような辛辣な批判に耐えながらも、雅子妃は'01年12月、37歳で待望の第一子を出産した。だが翌年4月、愛子内親王の誕生会見で、家庭問題に詳しいジャーナリストの石川結貴氏は、幸せなはずの雅子妃の様子に異変を感じたという。

「ご結婚のときの記者会見で、雅子さまは皇太子さまの言葉に対し、『一言つけ加えさせていただくと』とジョークを言ったりしていました。あれが本来の雅子さまだと思います。ところが、誕生会見では、懸命に涙をこらえ、感情を押し殺しているようでした。恐らく、皇太子妃は感情を出すようなはしたないことをしてはならないと言われていたのでしょう。雅子さまは今、本来の感情を押し殺さなければならない環境に置かれている。そしてその環境は雅子さまに、想像を絶するストレスを与えている……そんな予感がしました」

 石川氏の推察は的中する。雅子妃は心労により、'03年に帯状疱疹を発症、長期療養が始まった。閉ざされた雅子妃の関心は、次第に愛子内親王へと集中していく。それを如実に表すエピソードを、東宮関係者が明かす。

「雅子さまは、大野医師の指示に従って薬を正しく服用されれば健康を保てるのです。しかし、愛子さまの登校に同行されていた頃は、薬の副作用で日中眠くなって、付き添いができなくなるからと、薬を飲まないこともありました」