取り戻せるか『失われた20年』――迷走したバブル崩壊後の経済政策 第1章 焦土からバブルの「宴」まで

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川北 隆雄

「天才」に勝った「教祖」

「いまや経済の回復による浮揚力はほぼ使い尽された。なるほど、貧乏な日本のこと故、世界の他の国々にくらべれば、消費や投資の潜在需要はまだ高いかもしれないが、戦後の一時期にくらべれば、その欲望の熾烈さは明かに減少した。もはや「戦後」ではない。われわれはいまや異つた事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終つた。今後の成長は近代化によつて支えられる。そして近代化の進歩も速かにしてかつ安定的な経済の成長によつて初めて可能となるのである」(1956年度『年次経済報告』)。

 当時の経済企画庁(現内閣府)の調査課長、後藤誉之助の筆になる同『報告』(通称『経済白書』の「もはや「戦後」ではない」という文言は一躍、流行語になった。後藤は、「白書の中の白書」と称された同白書を前後六回も執筆しただけでなく、文章、用語の分かりやすさ、ネーミングの面白さなどで人気を集めた名物官庁エコノミストであり、「天才」とも評された。しかし、この名文句は現在、「二つの誤解」をされている。

 一つは、この文言が同白書のオリジナルだと思われていることだ。実は、同年正月に発行された月刊『文藝春秋』2月号に掲載された英文学者、中野好夫のエッセイのタイトルであり、後藤は7月発行の白書にその言葉を拝借したのである。ただ現在では、中野のエッセイよりこの白書の方が有名であり、この文言が白書のオリジナルと思われても、不思議ではない。

 二つ目は、現在では多くの人が内容を誤って理解していることである。後藤の主張は、引用文を読めば分かるように、これまでは「戦後」だから、いくらでも復興の余地があり、急成長が可能だったけれども、これからはそう容易ではない、ということだった。しかも、その後の近代化による成長も安定的なものでなければならない、というのだ。後藤は高度成長論者ではなく、安定成長論者だったのである。しかし当時でも、その文言を新聞の見出しだけで読んだ人の多くは、戦後復興を終え、もう戦後ではないのだから、これからはいよいよ本格的な成長ができるはずだ、と理解したようだ。現在では、もっぱらそういう理解が普通である。

 そして筆者である後藤の意図はともかく、一般に誤解されているような考え方の方こそ当時の実情に合っていた。誤解こそが正解だったのだ。

 同白書が発行された56年7月という時期は、戦後初めての大型景気である「神武景気」(54年12月~57年6月の31ヵ月)の真っ最中だった。多くの国民は、白黒テレビ、電気冷蔵庫、洗濯機という「三種の神器」によって、新しい娯楽と豊かな食生活を経験し、家事労働の負担を軽減され、「日本の歴史始まって以来」の景気を実感したのである。日本の高度経済成長は、神武景気の起点から、第一次石油ショックによって「列島改造景気」(72年1月~73年1月の23三ヵ月)が終焉するまでのちょうど19年間である。人々は高度成長という「祭り」のほぼスタート地点にいたわけだ。

 それでも、安定成長論者の後藤はその持論にとらわれていた。後藤は神武景気のあとの不況を「鍋底景気(不況)」と名付け、鍋の底をはうように長期化するだろうと予言したのである。