取り戻せるか『失われた20年』――迷走したバブル崩壊後の経済政策 第1章 焦土からバブルの「宴」まで

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川北 隆雄

 行天(ぎょうてん)豊雄元大蔵省財務官は次のように、当時の景気対策が金融政策偏重になっていたことを正直に認めている。

「歳出面では、あの頃から何度も手品のように総合景気対策というのが出始めました。いわゆる真水の部分がほとんどなく、事業費の積み上げだけで何兆円というやつです。これでは当然、効果は限られ、結局は金融政策ばかりにしわが寄ってしまった。後から振り返れば、金融緩和に重点が置かれ過ぎたことがバブル発生の原因の1つになったことは間違いないですね」(日経ビジネス編『真説 バブル』日経BP社、2000年)。

 ここでいう真水とは国と地方の財政支出を指し、実質国内総生産(GDP)の伸びに直接寄与する。一方、事業費とは財政支出に加えて、政府系金融機関の融資枠や公的保証機関の保証枠なども計算に入れる。ところが、融資枠や保証枠の設定はGDPの伸びには直接つながらない、つまり効果は限られる。当時、大蔵省は自民党の建設族らによる公共投資増額要求をかわすため、これらを増やして見かけの事業規模を膨らませたのである。ただ行天は、真水が少なかった理由が、自らが属する大蔵省が出し渋ったからであること、金融政策にしわ寄せが及んだ原因が、同省が日銀に陰に陽に圧力をかけたからであることを棚に上げて他人事のように述べている。

 日銀は86年に入ってから、民間金融機関に融資する際の利子率である公定歩合を実に四度にわたって引き下げた。そして、ルーブル合意の翌日、すなわち87年2月23日には、過去最低の2.5%に引き下げたのである。ゼロ金利がほぼ常態化した現在の感覚ではともかく、当時としては超低金利だった。それは、89年5月31日に3.25%に引き上げられるまで、2年3ヵ月も続いた。度重なる利下げ、とりわけ2年余りの長きにわたる史上最低金利は、列島改造景気を上回る猛烈なカネ余り状態をつくり出した。

 市場にあふれかえった資金は主に土地と株式に向かい、地価と株価を押し上げた。資産バブルである。

 国土庁(現国土交通省)の公示地価の前年比伸び率を見ると、地域別で最も値動きの激しかった東京圏の商業地では、87年が48.2%増、88年が61.1%増と2年連続で50%前後の伸びを示した。「元祖バブル」ともいうべき列島改造景気の73年でも28.0%増、その余熱が続いていた74年は23.7%だったから、バブル期の地価の値上がりがいかに激しかったかが分かろう。一方、日経平均株価はバブル前の85年末の1万3113円32銭から、絶頂期の89年末の3万8915円87銭と4年間で3倍近くに急騰した。この水準は今でも史上最高値である。

 澄田はこう振り返っている。

「確かに87年ごろから東京の地価は2ケタの上昇率を示し、株価もかなり速いペースで上昇していました。それなのにすぐに金利引き上げを実行しなかったのは、後から考えると、認識が不十分だったと答えるしかありません。そもそも消費者物価などの指標があまり過熱していないのに、のちにバブルと呼ばれる資産価格だけが上昇する現象は、日本では初めてのことで、世界でもそれまで指摘されていなかった現象でした。何よりも物価上昇やインフレといった言葉はあっても、バブルという言葉はなかったのです」(前掲『真説 バブル』)。

 なお、実体経済の指標である実質GDPの前年度比成長率は87年度が6.1%増、88年度6.4%増、89年度4.6%増、90年度6.2%増と、安定成長期としてはかなり高い5%前後の伸びを続けた。なお、消費者物価上昇率(生鮮食品を除く総合)はこの4年間、0.4%、0.6%、2.8%、2.8%と、澄田が言ったように、安定していた。一般にこの4年間、厳密には86年12月から91年2月までの51ヵ月の景気上昇期をバブル期と呼んでいる。なおこの景気は、期間中に昭和から平成へと年号が変わったため「平成景気」とも、あるいはバブル期と期間が一致するため「バブル景気」とも呼ばれている。

 資産価格の高騰であるバブルと、実体経済を示す実質GDPとは関係ないとの説もある。確かに、直結はしない。しかし、大いに関係があると考えるべきだ。株高で、個人の場合は確定した利益や含み益増加の資産効果で個人消費が増える。企業の場合は転換社債、ワラント債(新株引受権付き社債)発行など低コストのエクイティファイナンス(新株発行を伴う資金調達)が容易になり、その資金で土地や株式を購入するとともに、設備投資をするからである。地価高騰では、個人には株高ほど資産効果は明確でないものの、企業の場合は保有土地の担保価値が高まり、銀行が融資攻勢をかけたため、その資金で土地や株式を買い、設備投資を増やした。

 個人消費と設備投資は、GDPを構成する要素のうち最も重要な二つであり、「景気の二大エンジン」とも呼ばれる。それがバブルでかさ上げされたのだ。バブルに実体はないにせよ、バブルが生んだ資金で増加した個人消費や設備投資は紛れもなく実体経済を構成した。
 こうして、日本経済はバブルという「宴」に突入していったのである。

(第2章につづく)

川北隆雄(かわきた たかお)
1948年、大阪市に生まれる。東京大学法学部卒業後、中日新聞社入社。同東京本社(東京新聞)経済部記者、同デスク、論説委員、政府税制調査会専門委員などを務める。現在東京新聞・中日新聞編集委員、専修大学非常勤講師。著書に『財界の正体』『通産省』『大蔵省』(以上講談社現代新書)、『経済論戦』『日本銀行』(岩波新書)、『日本国はいくら借金できるのか?』(文春新書)、『国を売りたまふことなかれ』(新潮社)、『官僚たちの縄張り』(新潮選書)など。