佐藤健太郎「歴史を変えた医薬品」第1回 病気と世界史

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佐藤 健太郎 プロフィール

 確かな記録の残る最初の大流行は、西暦542年に始まったものだ。当時、ビザンティン帝国皇帝ユスティニアヌス1世は、古代ローマが築き上げた地中海帝国再現を目指して西ヨーロッパに攻め込み、イタリア全土を版図に収めるなど多くの戦果を上げていた。しかしこの進撃は、ペストの被害が拡大したことで足止めを余儀なくされる。この時ユスティニアヌスの征服事業が順調に進んでいれば、その後の世界史は全く違うものになっていたことだろう。

 何度か起きたペストの流行の中でも、14世紀中頃に発生したものは世界中に甚大な被害をもたらしたことで知られる。もともとこの流行は1338年頃に中央アジアで発生したもので、シルクロードを通って交易する商人などによって、西方へ伝播していった。そしてこの時のペストは、史上最も劇的な形でヨーロッパ侵入を果たしたことでも有名だ。

 1347年、黒海沿岸にあるジェノヴァの植民地・カッファの街を包囲していたキプチャク=ハン国(モンゴル帝国の一支流)の軍隊に、ペストが発生する。戦闘どころでなくなった彼らは引き上げを余儀なくされるが、この時モンゴル軍は呪詛の言葉と共に、ペストで死んだ仲間の死体を、カッファの城壁内に投石機で投げ込んだのだ。

 城内の兵士たちはあわててこの死体を海に捨てたが、時すでに遅かった。カッファの市民たちは次々にペストに感染し、病は商船に乗って地中海全域にあっという間に広まっていった。この大流行は1350年ごろまで続き、最終的にヨーロッパだけで2000~3000万人(当時の人口の3分の1~3分の2)が亡くなったと推定されている。

 ペストの流行はその後も断続的に続き、失われた人口が回復するまでには百数十年を要したとみられる。特に地中海沿岸地域での人口損耗は激しく、ヨーロッパの中心地域がイギリスやドイツなど北へ移っていく要因ともなった。

 日本における大震災がそうであったように、巨大な災害は人々の心理、そして思想などにも影響を与えずにはおかない。猛威を振るう疫病になす術もなかった教会は、その権威を大いに失墜させた。この流れはやがて宗教改革を呼び、中世という時代の終焉につながっていった。

 当時の医学は、この恐るべき悪疫に対して、ほとんど無力であった。当時は衛生観念も発達しておらず、たとえば入浴はペスト感染の原因になるとして忌避された。水によって皮膚が柔らかくなることで、病毒が浸透しやすくなると考えられていたのだ。

 その他、ナツメグなどの香辛料はペストから身を守る効果があるとされた。袋に詰めて持ち歩いたり、アルコールで抽出して作った香水を体に振りかけたりといった「対策」がなされた。一見単なる迷信のようだが、ナツメグの香り成分であるイソオイゲノールには防虫作用があったから、ペストを媒介するノミなどを多少ながら追い払ってくれたかもしれない。アルコールの消毒作用もあるから、当時行われた対策としては最もましな部類であっただろう。香辛料は、当時における最良の医薬でもあったのだ。

 ペストが本当に恐るべき病気でなくなるのは、抗生物質が普及し、衛生環境が飛躍的に改善された20世紀半ばになってからのことだ。人類が細菌との戦いに勝利するまでは、本当に長い歳月と、多大な犠牲を要したのだ。

 とはいえ実のところ、この勝利もいつまで続くか定かでなく、各種感染症はもはや過ぎ去った災厄である、と油断してよいものではない。このあたりは、いずれ本連載の中で述べてゆきたい。