岩手の天才少年書道家と大震災

短期連載 早熟の才能は、どうすれば順調に育つのか「神童」たちの「その後」
フライデー プロフィール

「『東北』という字の裾を跳ね上げることで、押し上がろうとする日本人の強い魂と、祭りでみんなが楽しんでいる様子を表現しました」

 力強い題字は、看板となり、のぼりとなり、祭りを彩り、東北人の心を奮い立たせたのだ。

書道とPCと家電の分解

 卓也くんの最初の作品は、1歳のときに祖母が渡した筆ペンを左手で握りしめて書いた「の」の字だ。2歳でひらがな、カタカナをマスターし、2歳半で漢字に興味を持ち始めた。「これ何?」と漢字を見ては質問攻めにするため、貞子さんが電子辞書を与えると、自ら意味を調べ、イメージを膨らませて字を書くようになった。3歳になると、睡眠と食事の時間以外、一日10時間、嬉々として筆で文字を書き続けていた。周りの子が好きな遊びに見向きもしない卓也くんを心配して、父・正一さん(50)がプラレールを与えると、線路で漢字を作り始めてしまった(次ページ写真)。

 卓也くんがメディアから注目されたのは7歳のとき。貞子さんが応募したモントリオール国際芸術祭書道部門でグランプリを受賞したことがきっかけだった。そこから、「天才書道少年」として、東京、大阪、名古屋で個展を開き、ポスターやCDジャケットの題字など、多くの依頼が舞い込んだ。

 卓也くんは、いわゆる書道教室に通ったことはない。だから師匠もいない。ただ自分の感性に従い、半紙ではなく白いコピー用紙を前に、筆を左手で握り、下から上へ、上から横へと、書き順など無視して絵を描くように字を書いていく。

 テレビ番組で卓也くんと共演したこと

 がある「全日本書道連盟」の石橋鯉城理事は、こう評価する。

「一種の神童ですね。それでも驕ることなく、皆に認められ役に立てることを喜んでいる素直な子です。それが書道にも反映されている。書道で名を成した人物が、老齢で右手が利かなくなり、左手で書くことで新たな境地に辿り着くことがありますが、そういう雰囲気を持っています。私も一文字をどう書くかを考え、そこから書道の本筋を見出そうとしていますが、高橋くんも同じだと思います」

 卓也くんは書道以外にも夢中になっていることがある。4歳の頃から、家電を分解し、分厚い説明書を読み耽っては構造を頭に入れる〝メカニック・オタク〟でもあるのだ。分解したものは、ビデオデッキ4台、自転車2台、その他の家電も数多い。正一さんは怒ったが、貞子さんはあまりの熱心さと手際の良さに感心し、自由にさせてきた。小学校の高学年になると、家電の配線やインターネットの接続は卓也くん任せになった。

 その才能は、パソコンによってさらに進化を遂げていた。2年半ぶりにお邪魔した3畳ほどの卓也くんの自室の机には、ウィンドウズとマックのPCの液晶画面が3台並び、さながら秒刻みで株の売り買いを行うトレーディングルームのようだった。友人からは「コックピット」と呼ばれるそうだ。