二宮清純「戦後の英雄・力道山はなぜ死んだのか!?」

二宮 清純 プロフィール

 ある関係者から「力道山は入院中、好きなサイダーを飲んでいたらしい。それで容態が急変したというんだ」という話を聞いたことがあります。しかし、どうやら、それはガセのようです。

<私の知るかぎりありえないことです。本人も先生の教えは守る人ですし、「いつまでもここで寝ているわけにはいかない。早く治したい」と口癖のように言っていましたから。「退院したらビールが飲みたい」という言葉が誤解を招いたのかもしれません>(『夫・力道山の慟哭』)

 手術後、力道山は順調な回復ぶりを見せ、院長は経過報告に「経過順調、経過良好」と記します。しかし15日朝、容態は急に悪化し、2度目の手術の後に帰らぬ人となってしまうのです。敬子さんは2度目の手術直後、院長から「もう心配ありません」と声をかけられ、安心して自宅に戻っています。だからこそ、敬子さんは、こう書くのです。<二度目の手術は納得いきません。私は当時から医療ミスがあったんじゃないかと思っていました>

愛弟子・大木金太郎の見方

 死因は敬子さんが指摘するように手術ミス、あるいは医療ミスだったのでしょうか。

 一方で、次のような見方をする者もいます。これを書いたのは力道山の直系の弟子で同胞の大木金太郎(キム・イル)です。ちなみに力道山は朝鮮半島北部の咸鏡南道、大木は朝鮮半島南部の居金島の出身です。

<(力道山)先生は民族統一問題に対して日増しに関心を深めていた。1963年1月には韓国を極秘に訪問したあと、金日成主席に親書と高級外車を贈ったりした。先生は祖国統一を望む民族主義者へと変身していった。(中略)
 こうした急激な南北和解や統一機運が生まれることに不安を感じた日本国内の目に見えない勢力が、先生を暴力的に排除したという見方だ>(自著『自伝大木金太郎 伝説のパッチギ王』講談社)

 もちろん真相は今となっては藪の中です。事件もどんどん風化しています。大木も7年前に世を去りました。昭和がどんどん遠くなっているように感じられる今日この頃です。